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【産地のはなし】肥前びーどろ/佐賀|120年、ただひとつの窯が守り続ける宙吹きガラス
旅先で、ふと目に留まる手しごとがあります。 器だったり、布だったり、木の道具だったり—— そこには、その土地の風や時間、そして人の手の温度が、幾重にも積み重なっているように感じます。
作り手を訪ねて、ものが生まれる場所を旅する連載「産地のはなし」。
第3回の舞台は、佐賀県佐賀市。 佐賀駅から2kmほど、佐賀城のほど近く。1500年の歴史を持つ與賀神社の参道として栄えてきた町が、道祖元町(さやのもとまち)です。 明治初期の建物も残る、どこか趣のある町並みが続きます。
そんな町の一角に工房を構えるのが、創業120年を超える副島硝子(そえじまがらす)さん。佐賀県の重要無形文化財にも指定されている宙吹きガラス「肥前びーどろ」を手がける、唯一の工房です。
120年以上に渡って独自の技術を受け継ぐなかで守り続けているもの、そして新しく生まれるもの。副島硝子さんの、いまの姿を訪ねました。
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窯の音とともに、一日が始まる
佐賀市内は田畑も多く、米や麦が育つ季節はひときわ美しいのだそうです。
副島硝子さんは、そんな佐賀の風土の中で、120年にわたってガラスを吹き続けてきました。副島硝子さんの一日は、窯でガラスを焚く音から始まります。
扉を開け、その熱を肌で感じてから、その日の段取りを組んでいくのだそう。
宙吹きは型を使わず、一つひとつ手作業で吹き上げていく仕事。ガラスは1,000〜1,300度近くにもなるため、直接手で触れることはできません。職人は吹き竿を通して伝わる感覚を頼りに、ガラスの様子を見守り続けます。
「温めて柔らかくする、その見極めも目や感覚で感じ取る必要があります」
水飴状の柔らかいガラスは、窯から取り出した瞬間から温度が下がり、あっという間に硬直してしまいます。少しでも気を抜くと、思った形にならない。だからこそ、成形の間は常に集中を切らせません。
その日その日で、気温や湿度といった条件は微妙に変わり、同じものはふたつとできないといいます。その難しさを日々感じるぶん、思いどおりの形に仕上がったときの喜びは格別です。
この地に、ただひとつの窯として
肥前びーどろを製造しているのは、現在、副島硝子さんただ一社のみ。規模は決して大きくはありませんが、そのぶん、この技法を絶やしてはいけないという思いは強いといいます。
「私で4代目で、家業を受け継ぐことには思い入れがあります。弊社でしか継承できていない技法もあり、絶やしてはいけないという強い気持ちを持っています」
一方で、いまの課題も率直に語ってくれました。ガス窯を使用しているため、世界情勢の影響を受けたガス代の高騰は喫緊の問題。また、技術習得の難しさから、人材育成も大きな課題だといいます。
それでも120年続いてきたのは、使い手に愛されてきたからこそ。
「肥前びーどろを使いたいというお客さまがいる限りは、作り続けていきたい」。
伝統工芸と呼ばれてはいても、大切にしているのは、あくまでお客さまの声。「こういうのないの?」「こういったものを作ってほしい」という一つひとつの声に応えるうちに、新作が生まれ、新たなアイデアが育っていくのだそうです。
ひとりの職人の結婚式から、定番へ
いま副島硝子さんの代表作のひとつとなっているのが、透明感のある色彩が魅力の「虹色シリーズ」。はじまりは、現在の工場長の結婚式でした。
「結婚式の引出物として、彼自身が作ったのが始まりです」
参列した人たちから「追加が欲しい」「贈りものにしたい」という声が次々と上がり、やがて定番商品へと育っていきました。
もともとは、ひとりの職人の結婚式の記念に込めた、参列者への感謝の気持ち。その思いは今も変わらず、いまでは看板商品として多くの人の手に渡っている。
その広がり方こそが、虹色シリーズならではの物語といえるかもしれません。
技を継ぐ、その先にあるもの
肥前びーどろを「飾っている」という声を聞くこともあるといいます。それでも、副島硝子さんが作っているのは、あくまで日常で使うためのうつわです。
宙吹きガラスならではの、自然で柔らかな風合い。息と心を込めて作られた肥前びーどろが、手にした人の日常に少しでも彩りを添えられたら。
「使い方に決まりはありません。手に取った人が、自由に、日々の暮らしの中で使ってくれることを願っています」と副島硝子さん。
佐賀に120年続く、ただひとつの肥前びーどろの窯。
その伝統工芸と呼ばれる技術を受け継ぎながらも、その眼差しはいつも、使い手のほうを向いています。大切なのは、技術を守ることそのものではなく、その先にある暮らしなのかもしれません。
産地のメモ|肥前びーどろ
江戸時代末期、佐賀藩が設けた理化学研究機関「精煉方(せいれんかた)」がルーツといわれています。研究のための道具づくりから始まった技は、時代とともにランプや食器などの日用品へと姿を変えながら、今も佐賀の地で受け継がれています。
<文=オギユカ>
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