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Creemaのweb小説「虹にすわる」 ロープウェー 1-3
ー 登場人物紹介 ー
徳井:職人である祖父を見ながら育った影響でものづくりを志し、東京の工業大学に進学。卒業後、住宅メーカーで営業職として勤務。一年前に帰郷し修理屋の仕事を継いでいる。
魚住:徳井の大学の後輩。東京出身。学生時代から徳井の木工の才能にほれこみ、無邪気に慕う。卒業後は家具工房に弟子入りしていた経験あり。徳井のもとへ転がりこむ。
じいちゃん(徳井の祖父):元仏壇職人。引退後は町の修理屋/便利屋として働き、ご近所からも「徳さん」と慕われている。一年前に腰を痛めて休養中。
ー あらすじ ー
東京でメーカーの営業職として働いていた徳井は、育ての親である祖父の体調を心配し、退職し故郷に戻る決心をした。かつては仏壇職人として、今は町の修理屋として、人々に慕われている祖父の仕事を手伝いながら、生まれ育った土地での穏やかな日々を過ごす徳井。
そんな折、大学時代の後輩、魚住が現れ、一緒に椅子工房をやろうと言う。徳井の木工の才能に惚れ込んでいる魚住にとって、それは十年ぶり二度目の誘いだった。
現実味のない申し出にとまどう徳井だが――
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魚住は昔から、思いこみが激しい。
「修理屋⁉」
すっとんきょうな大声は、食堂中に響きわたった。鶏のからあげと海鮮サラダを運んでこようとしていた菜摘が、テーブルの手前でびくりと足をとめた。
「徳井さん、家具作ってるんじゃないの?」
「作ってないよ」
徳井は小声で否定した。周りから注がれている好奇の視線が痛い。
「去年、電話で話さなかったか?」
聞いたそばから、頭の中では答えが出ていた。話していない。
あのとき魚住は酔っぱらっていた。なんでも、大学の同期との飲み会で、徳井のうわさを聞いたらしい。
ついに帰るんだ、よかった。おめでとうございます。じいちゃんにもよろしく。魚住はこの街をいたく気に入っていただけあって、ろれつが回らないながらも、祝福の言葉には心がこもっていた。ありがとう、とだけ徳井は答えた。
「聞いてない」
魚住は憤然として唇をとがらせている。
話が長びきそうだと判断したのだろう、菜摘が意を決したように足を踏み出し、二枚の大皿をテーブルの真ん中に並べた。
「とりあえず、冷めないうちに食おうや」
徳井はうながし、からあげに添えてあるすだちをしぼった。柑橘のすがすがしい香りが広がる。あらゆる料理に、この地方の名産であるすだちをたっぷりかけるのが、いしやま流である。
「ここのからあげ、ほんとうまいよ」
魚住はまだなにか言いたそうだったが、空腹には勝てなかったようで箸をとり、からあげをひとつ口に放りこんだ。
「うまい」
「だろ? せっかくだから、たくさん食えよ」
魚住が上目遣いで徳井をにらんだ。ごまかされまいという意思が見てとれる。じいちゃんは会話には加わらず、無言でサラダに箸を伸ばした。
「じゃあ徳井さん、どうしてこっちに戻ってきたわけ?」
できるだけ時間をかけてからあげを咀嚼しながら、徳井は答えを探す。なぜ魚住が勘違いしたのか、すでに見当はついていた。
・
発端は、これまた10年前の夏にさかのぼる。
東京へ戻る少し前に、徳井は魚住を市内観光に連れていった。仏壇ばっかりじゃあんまりじゃないの、せっかくだからきれいな景色も見てもらいなさいな、とばあちゃんに命じられたのだ。
ばあちゃんの一番のおすすめは、ロープウェイだった。終点の、小高い丘の上から街が一望でき、地元ではちょっとしたデートスポットにもなっている。とってもロマンチックなのよ、とばあちゃんは魚住に向かって太鼓判を押した。
「でも、男どうしじゃなあ」
ロープウェイ乗り場で、徳井はぼやいた。
「てか、おれたち、つきあってるように見えたりして?」
魚住がきょろきょろと左右を見回す。
「いやいやいや、勘弁して」
「こっちこそ勘弁して」
ふたりでロープウェイに乗っているところを、菜摘の母親に目撃されていたことは、後日判明する。もっとも、町内に流れたうわさは、徳井たちの案じたそれとは少し違い、「律ちゃんがおしゃれな女の子とデートしてた!」というものだった。小柄で髪の長い魚住が、遠目には女の子に見えたらしい。またたくまに広まってしまった誤解を、徳井はいちいち訂正して回るはめになった。
しかしその時点では、そんなややこしいことが起きるとは知る由もなかった。
平日だったからか、山頂は空いていた。広々とした展望台から、徳井は生まれ育った街を見下ろした。
よく晴れた日だった。市内を横切って流れる、幾筋もの川の流れにも、その先に広がる海にも、光の粒がまぶされていた。
「きれいだなあ」
隣で景色に見入っていた魚住が、ぽつりと言った。何度もここへ来たことがある徳井の目にも、晴れわたった街なみは確かに美しかった。
「ねえ、徳井さん」
展望台の柵にだらりと両手をひっかけて寄りかかり、魚住は続けた。
「仏壇職人は継がないの?」
唐突な質問に戸惑いつつ、徳井は首を振った。
「継がないよ」
「なんで? じいちゃんも喜ぶんじゃないの?」
「じいちゃんが、やめとけって言ってる」
じいちゃんみたいな職人になりたい、と徳井も子どものときには考えていた。けれど当のじいちゃんが、きっぱりと反対した。この先、仏壇の需要は減る一方だろう。高性能の機械がどんどん開発されて、今どき職人というのもはやらない。もっと将来性のある職業を選んだほうがいい。
「ふうん。じゃあさ、仏壇じゃなくて家具作れば?」
「家具?」
考えたこともなかった。
「こういうのんびりしたところで、こつこつ椅子作れたら最高じゃない?」
魚住は学生の頃からすでに、椅子職人になりたいと公言していた。
「確かに、家具ならどこでも作れるよな。東京にいる必要はないかもな」
適当に話は合わせたものの、徳井はそこまで深く考えていたわけではなかった。ただ単純に、そういう人生もあるんだな、と他人ごとのように感心していた。
卒業後の進路について、徳井にこれといった心づもりはなかった。普通に就職して、会社員になるのだろう、と漠然と考えているくらいだった。早くも未来の目標を見据えている魚住が、ちょっとまぶしくもあった。日頃は頼りなくて危なっかしい後輩が、椅子について語るときだけは、いつになくおとなびて見えた。
「よし、決まり」
魚住がぱちんと手を打った。
「いつか、このへんで椅子の工房やろう。おれと徳井さんで」
「工房? そんな、無理だろ」
「もちろん、すぐには無理だけど。お互い、どこかでちゃんと修業して、一人前になってから」
おおまじめに言う。なんとなく水を差しづらく、徳井はあいまいに言葉を濁した。
「まあ、そういうのもありかもな」
やった、と魚住がこぶしを振りあげた。そのまま腕をまっすぐ前に伸ばして、眼下を指さした。
「じゃ、ここ集合で」
しばらくの間、ふたり並んで、光のあふれる街を見下ろした。
・
どうして地元に戻ってきたのか。
その質問を、徳井はこれまでにも幾度となく投げかけられてきた。東京を離れたときにも、こちらで知りあいと顔を合わせたときにも。いろいろあって、という抽象的な返事で納得する者もいれば、もっと掘りさげようとする者もいた。
魚住は、後者である。
「いろいろって、なに?」
ふくれ面で腕を組み、またひとつからあげを口に放りこむ。
「いろいろだよ」
修理の仕事もやめようかと思う、と徳井がじいちゃんから切り出されたのは、おととしの年末に帰省したときのことだった。
仰天した。体が動くうちはずっと働きたいと、じいちゃんはつねづね言っていたのだ。ということは、どこかぐあいが悪いのか。別にたいしたことじゃないとごまかそうとするじいちゃんを、徳井は辛抱強く問いただした。
近頃は手が震えて細かい作業ができないときがある、とじいちゃんはしぶしぶ白状した。日常生活には今のところ支障はないが、中途半端な仕事をするのはいやだから、いっそ潔く隠居したい。
医者ぎらいのじいちゃんは、病院にも行っていなかった。徳井が半ば無理やり連れていき、検査してもらった結果、悪い病気ではなく加齢による症状だと診断された。一度は胸をなでおろしたものの、「いわゆる老化現象ですね」と告げた医師の乾いた声は、徳井の耳にこびりついた。
じいちゃんは、日に日に老いている。なるべく考えないようにしていた当然の事実を、突きつけられた気がした。病院の待合室で背をまるめて座るじいちゃんは、ひどく小さく縮んで見えた。
「おれ、こっちに戻ってこようか」
徳井が言うと、じいちゃんは即答した。
「いい。大丈夫だ」
ばあちゃんが死んだときにも、似たようなやりとりがあった。
そのときはじいちゃんに押しきられた。いわく、体はどこも悪くないし、ひとりでもちゃんと生活していける。仕事があるからたいくつもしない。そもそも、お前自身の職はどうするのか。帰ってきたとして、適当な働き口が見つかるとも思えない。そうはいっても、と徳井がなおも食いさがろうとしたら、年寄り扱いするな、としまいには怒り出した。よけいな心配をしていないで、東京でしっかり稼げ。
しかし状況は変わった。
じいちゃんの体は少しずつ弱っている。徳井がじいちゃんのかわりに修理の仕事をこなせば、ふたり分の生活費は十分まかなえるだろう。もちろん、じいちゃんとまったく同じようにはいかないかもしれないけれど、徳井だって手先は器用なほうだ。若い分だけ体力もある。
「東京で暮らすの、そろそろ潮時かなって気もしてたしな」
一年前にじいちゃんにもした言い訳を、徳井はもう一度口にする。
「なんだ。おれ、徳井さんがやっと家具作る気になったんだとばっかり」
勝手に勘違いしておきながら、魚住は不服そうに言った。
「まあいいや、しょうがない。とりあえず修理屋を手伝うよ」
「いや、仕事を手伝う手伝わないの問題じゃなくて。別に人手も足りてるし」
結局、じいちゃんは今のところ完全に引退はしていない。客先に出向いてその場で対応する仕事は、基本的に徳井が引き受けているが、いったん預かって修理する家電や小型の機械類は、よほど細かい作業でない限りはじいちゃんも手伝ってくれる。じいちゃんの指示に従って、徳井が手を動かすこともある。なじみの顧客とのやりとりも、じいちゃんの担当だ。
「ねえ、じいちゃん」
徳井は助けを求めるつもりで、黙々と食事を続けているじいちゃんに声をかけた。
以前、徳井をたしなめたように、魚住にもびしっと説教してくれないだろうか。お前の居場所はここじゃない。おとなしく東京に帰れ。じいちゃんの言葉なら、魚住も耳を貸すかもしれない。
じいちゃんが箸を置き、ごほんと大きな咳ばらいをひとつした。徳井も魚住も口をつぐんだ。
「部屋は、余ってる」
じいちゃんはぼそぼそと言った。
「ありがとう、じいちゃん!」
魚住が椅子から腰を浮かせた。テーブル越しに両手を伸ばし、じいちゃんの手をぎゅっと握る。(つづく)
瀧羽麻子(たきわあさこ)
1981年兵庫県生まれ。京都大学卒業。2007年『うさぎパン』で第2回ダ・ヴィンチ文学賞大賞を受賞。著書に『株式会社ネバーラ北関東支社』『いろは匂へど』『左京区桃栗坂上ル』『乗りかかった船』などがある。最新刊『ありえないほどうるさいオルゴール店』を5月に刊行。