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Creemaのweb小説「虹にすわる」 吹雪のち虹 6-4[最終回]

ー 登場人物紹介 ー

徳井:職人である祖父を見ながら育った影響でものづくりを志し、東京の工業大学に進学。卒業後、住宅メーカーで営業職として勤務。一年前に帰郷し修理屋の仕事を継いでいる。

 

魚住:徳井の大学の後輩。東京出身。学生時代から徳井の木工の才能にほれこみ、無邪気に慕う。卒業後は家具工房に弟子入りしていた経験あり。徳井のもとへ転がりこむ。

 

じいちゃん(徳井の祖父):元仏壇職人。引退後は町の修理屋/便利屋として働き、ご近所からも「徳さん」と慕われている。一年前に腰を痛めて休養中。

 

菜摘:徳井の幼馴染。近所で「いしやま食堂」を両親とともに切り盛りする。徳井との関係は_

 

胡桃:魚住を追いかけ、東京から駆けつけそのまま居座ることに。アートとも言えるぬいぐるみを制作することで生計を立てており、個展も開催するなど人気クリエイターとして活躍。

 

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外はおそろしく寒かった。

修理の仕事で屋外の作業にあたるときに着ている、膝下まで届くダウンコートに、ニット帽をかぶり手袋をはめマフラーをぐるぐると巻き、それでもビールの酔いはたちまち吹き飛んだ。

とはいえ車に乗るわけにもいかず、徳井は徒歩で川をめざした。

 

川に沿って歩いていけば家に着く、という魚住の捨てぜりふが本気だったのかはあやしいものの、それ以外に手がかりがない。電話も相変わらずつながらない。雪がやんでいるのだけが、不幸中の幸いだった。道路はうっすらと濡れている。どこかで雨に変わったのかもしれない。

堤防の上に延びている歩道には、人っ子ひとりいなかった。等間隔に立っている街灯のほのかな光は、足もとの流れまでは届いていない。水音だけが、やけにくっきりと聞こえる。

 

さしあたり、市街地の方角へ足を向けた。はるか遠くに街のあかりがぽつぽつと散っている。体は多少あたたまってきても、風にさらされている顔面は、冷たいのを通り越してぴりぴりと痛む。

こんなに暗くて寒い中を、都会っ子の魚住が歩けるものだろうか。根性がなくて甘ったれの、あの魚住が。

一年足らずのできごとが、きれぎれに徳井の脳裏をよぎる。

 

はじめてふたりで作ったカエデの椅子。吉野氏に依頼された夫婦椅子。穴吹夫妻のためにこしらえたファーストチェア。大谷さんのギャラリーに置かれた三脚の椅子。他にもいくつもの椅子を、ふたりで作ってきた。

 

うまくいかないことが出てくるたびに、魚住は徳井を頼った。一生のお願い、と幾度となく助けを求めてきた。そのときどきは、むろん困ったり弱ったりしていたはずなのに、しかしこうして思い返してみれば、どういうわけか、徳井の記憶の中で魚住は笑っている。ふたりとも楽しそうだ、とじいちゃんは言っていたから、徳井もまた似たような顔をしていたのだろうか。

 

魚住は今、どんな顔で夜道を歩いているのだろう。ひとりぼっちで、凍えながら。

いや、本当に歩いているとは限らない。なにせ調子のいいやつだ。威勢よく啖呵を切って別れた手前、すんなりと家へ戻ってくるのもきまりが悪くて、どこかで時間をつぶしているのかもしれない。街のほうには、東京に比べて数は少ないとはいえ、深夜まで営業しているファミレスやコーヒーショップもいくつかある。

 

さっきは取り乱していたけれど、もうだいぶ気持ちも落ち着いているに違いない。魚住は腹を括るはずだとじいちゃんも言っていた。そうだろうと徳井も思う。魚住は根性がないし甘ったれだが、決して弱くはない。むしろ、逆境でも図太く立ち回って乗り越えてしまうたちだ。

 

大丈夫だろう、と考えれば考えるほどに、なぜかかえって胸騒ぎがしてきて、徳井は足を速める。

魚住は弱くない。どちらかといえば図太い。だが感情に流されやすい。衝動に任せて、理屈の通らない行動に出ることも少なくない。

 

あこがれの進藤に見向きもされなかったばかりか、二人三脚でやってきた徳井まで失うかもしれないとなって、妙なぐあいに思い詰めてはいないだろうか。もともと思いこみが激しいのだ。絶望のあまり、なにをしでかすかわからない。

おれは徳井さんと一緒に、真剣に椅子作ってきたつもりだったのに。人生賭けて。

魚住らしくもない沈鬱な声が、徳井の耳によみがえる。人生、という言葉の重みに、今さらぎょっとする。

やけになって、変な気を起こさなければいいのだが。

 

いやいや、まさか。ありえない。徳井さんは根が暗すぎるんだよ、と事あるごとにからかってくる、人並み以上に前向きな魚住のことだ。悲観的になったとしても、たかがしれている。徳井がこんなふうに気をもんでいると知ったら、それこそ根暗だと笑い飛ばすだろう。

 

それよりも、なけなしの金で安酒をあおり、どこかで眠りこんでしまっているということはないだろうか。学生時代、泥酔した魚住はたびたび道端にへたりこんだ。気持ちよさそうにいびきをかき出したところを揺り起こし、顔をひっぱたき、下宿まで連れ帰るのに苦労したものだ。警察に保護されてしまい、連絡を受けた徳井が迎えにいくはめになったこともある。

 

別の不安が、頭をもたげた。雪はやんでいるとはいえ、すでに気温は零下に近いだろう。これから夜半にかけていよいよ冷えこむはずだ。

東京の繁華街の路上だったら、凍死する前に誰かが見つけてくれるかもしれない。でもこのあたりでは、そうもいかない。

徳井は足をとめ、左右を見回してみた。街灯の届かない暗がりで、魚住は眠りこけているかもしれない。

 

「徳井さん」

 

またもや、弱々しい魚住の声が聞こえた気がした。

どこにいるんだよ魚住、と徳井は心の中で呼びかける。心配かけるのもいいかげんにしろ。

 

「徳井さん」

 

魚住の声が、少しだけ大きくなった。

徳井は正面に向き直り、歩道の先に目をこらした。見覚えのある人影が、小さく手を振っていた。

 

 

驚いたことに、ホテルで徳井と別れた後、魚住はほとんど休みなく歩き続けていたらしい。

「もう慣れたし、そんなに寒くない」

と本人は言うけれど、顔に血の気がないのは夜目にも明らかだった。

「タクシー呼ぶか?」

徳井は聞いてみたが、いい、と魚住は言い張った。

「せっかくだから、このまま家まで歩く」

すたすたと歩き出す。意地を張れる元気は残っているようなので、好きにさせることにして、徳井もあとを追いかけた。

 

魚住の隣に並び、胡桃に電話をかけた。途中で魚住にかわる。

「ごめん。ほんと、ごめん」

魚住は平謝りしている。

「ホテル出てすぐに、携帯の電池が切れちゃって」

 

それ以降は地図を確認することもままならず、ひたすら川上をめざして歩くしかなかったという。

魚住が通話を終えるのを待って、徳井はじいちゃんにも連絡を入れた。三十分くらいで帰る、と伝える。

 

電話を切ってからふと思いつき、マフラーをほどいて魚住の首に巻いてやった。これも断られるかとも思ったけれど、魚住はされるがままになっている。強がっていても、やっぱり寒いのだろう。

相変わらずひとけのない道を歩きながら、魚住はぽつぽつと喋った。

「途中で一回、すんごい雪がひどくなって。その間は、道沿いの喫茶店に避難してコーヒー飲んだんだ」

 

徳井が菜摘とふたり、車で帰路をたどっていた頃だろうか。

「ましになってきたから店出て、また歩いて。途中でパトカーとすれ違って、乗ってたおまわりさんに道聞いて」

話題に上るのは、ホテルからの道中で起きたできごとばかりだ。その前のことには、一切ふれない。

「そんで一時間くらい前かな、めちゃくちゃ腹へってきて、コンビニで肉まん買って食った。今残ってるの、八十四円」

 

「それも買ったのか?」

魚住のぶらさげているビニール傘に目をやって、徳井はたずねる。

 

「いや、もらった。夕方くらいに雪が雨になって、酒屋か米屋かなんかの軒先で雨宿りしてたら、店のおばさんがくれた」

魚住がくるりと傘を回した。

「そうだ、その後雨がやんで、ちょっとだけ晴れたんだけど」

夜空を見上げ、傘を持った腕をななめ上に伸ばす。

「そのとき虹が出たんだ。かなりでかいやつ。めちゃくちゃきれいだった。こう、川をまたぐ感じで」

傘の先で宙に弧を描いてみせた。

 

「へえ」

「おれ、子どものとき、虹の上に座ってみたかったんだよ。って、徳井さんに言ったことあったっけ?」

「ないな」

 

初耳だった。魚住らしいといえば、魚住らしいが。

「座り心地よさそうじゃない? 眺めもすごそうだし。でも親父には、また夢みたいなことばっかり言って、ってばかにされて。あれは傷ついたね」

言葉とはうらはらに、魚住はおかしそうに笑っている。

「ま、それでもめげなかったから、こうして今に至るわけだけど」

「気持ちいいだろうな。虹に座れたら」

 

徳井はつぶやいた。七色のアーチのてっぺんに腰かけ、愉快そうに両脚をぶらぶらさせている魚住の姿が目に浮かぶ。

その隣に座ったら、どんな景色が見えるのだろう。

「気持ちいいよ、絶対」

 

「なあ、魚住」

深呼吸をひとつしてから、徳井は口を開いた。

「おれ、断るよ」

 

魚住が立ちどまった。半歩先に出た徳井も足をとめ、後ろを振り向いた。薄暗い道の真ん中で、ふたり向かいあう。

「どうして?」

魚住が言った。さっきまでとは一変して、声も表情もこわばっている。

「おれのことは気にしないでって言ってるのに……」

「気にしてない」

徳井はさえぎった。

 

「魚住のせいじゃない。おれが、そうしたいんだ。これからも魚住とふたりで、椅子を作りたい」

徳井が椅子を作るのは、楽しいからだ。魚住と一緒に椅子を作るのが、楽しいからだ。

胡桃にも指摘されたとおり、徳井も魚住も、まだ一人前の職人とはいえない。未熟なふたりだけで工房を運営していくのは、確かに大変だろう。

でも、やってみたい。

 

少しずつでも、前に進んでいけばいい。魚住の苦手とする細かい加工を、辛抱強く教えよう。なるべく計画どおりに作業を進めていけるよう、工程管理も徹底しよう。反対に、顧客の開拓やら接客やら、徳井のほうが魚住から学ばなければならないこともあるだろう。

 

そうして地道に経験を重ねていけば、いつかは虹に座れるかもしれない。ふたり並んで晴れやかな気持ちで世界を見渡せる日が、来るかもしれない。

「いい椅子を作ろう。ふたりで」

徳井は続けた。

 

魚住はぴくりとも動かない。食い入るように、徳井の顔をまじまじと凝視している。徳井も目をそらさなかった。

先に動いたのは、魚住だった。

「好きにすれば」

徳井の横をすり抜けて、小学生みたいに傘を振り回しながら、道の先へと歩き出す。

 

 

 魚は一匹も釣れない。

 

「おかしいなあ」

魚住は横でぶつくさ言っている。

「こないだ胡桃と来たときは、びっくりするくらい大漁だったのに」

お前のせいだと言わんばかりに、恨めしげなまなざしを向けられて、徳井は反撃を試みた。

「餌のせいじゃないの?」

「そうかな?」

魚住は生餌の入った容器をさも気味悪そうに一瞥し、徳井の顔に視線を戻した。

「前は胡桃にやってもらったんだよな……」

 

「甘えない、頼らない、投げ出さない」

徳井はすかさず切り返した。魚住が口をへの字に曲げて、そっぽを向く。

 

甘えない。頼らない。投げ出さない。あの雪の日、これからも力を合わせてやっていこうと約束したときに、魚住はこの三つを「虹にかけて」誓ったのだった。ちなみに、徳井にも徳井の三か条――あせらない、考えすぎない、他人のせいにしない――がある。

 

進藤には徳井から断りの電話を入れた。考え直すように説得されるかと身がまえていたのに、残念です、また気が向いたらいつでも連絡下さいね、とさらりと言われただけで、やや拍子抜けしてしまった。

 

拍子抜けしたといえば、進藤の下で働くべきだと主張していた胡桃も、ことさらに反対はしなかった。まあ結局こうなるような気がしてました、とあきらめたようにため息をついたきりだった。じいちゃんもまた似たようなもので、そうか、律のしたいようにしろ、と反応は淡白だった。

 

唯一驚いてくれたのは、菜摘だ。ほんとにいいの、わたしはうれしいけど、でもほんとにいいの、と何度も繰り返していた。

 

「ん? でも、徳井さんは生餌だけど全然釣れてなくない?」

今度は徳井が黙る番だった。

「まいったな。今晩は魚尽くしになるからよろしくって、なっちゃんにも言っちゃったのに」

「なんでお前は、そう安請けあいするんだよ?」

「目標は高く持ったほうがいいでしょ?」

「目標っていうより妄想だろ」

「妄想はひどくない? せめて夢って言ってよ」

 

あれから三ヶ月、それぞれの三か条を守りきれているとはいえない。

魚住は難しい細工を手がけるたびに弱音を吐いているし、徳井は注文の入らない日がしばらく続くと憂鬱になってくる。お互いに文句を言ったり言われたり、小さなけんかもしょっちゅうある。

 

一方で、魚住は徳井に、これやって、ではなく、これ教えて、と頼むようになった。徳井は魚住のデザイン画を見せてもらうときに、以前より時間をかけて細部まで確認するようになった。納期は適当に約束してしまわずに、ふたりでみっちりと相談して決めるようになった。

 

むろん、うまくいかないときもある。けっこうある。

徳井が懇切丁寧に教えているのに、魚住がコツをのみこめず、ちゃんと話を聞けよ、いや教えかたがわかりにくい、と押し問答になることがある。徳井が提案してみた装飾を、ださい、と魚住が容赦なく一蹴することもある。余裕を持って作業を進めているはずなのに、なぜか納期の直前には必ず異様に忙しくなる。

 

「ねえ、あのおじいちゃんたちは釣れてるみたいだよね?」

堤防の先に陣どっている数人の釣り人たちを目で示し、魚住がひそひそと言う。

「ちょっと聞いてみよっか?」

「なにを?」

「どうやったら釣れますか、って。もしかしたら、ちょっとおすそ分けしてくれるかもしれないし」

「やめとけよ」

 

若い者が平日の昼間からなにをぶらぶら遊んでるんだ、と眉をひそめられそうだ。徳井たちがゆうべ徹夜で椅子を数脚しあげ、さっき納品してきたばかりなのだと、彼らは知る由もない。

 

「じゃ、ちょっと行ってくる。おれの竿も見てて」

魚住は徳井の返事を完全に無視して、腰を上げた。

堤防の上をすたすたと歩いていく後ろ姿を見送って、徳井は大きなあくびをひとつもらした。うんと伸びをして、竿の先へと目を戻す。

 

初夏の澄んだ陽ざしが、こぢんまりとした入り江を照らしている。ふたつ仲よく並んだうきが、かすかな波にゆらりゆらりと揺れている。

 

(おしまい)

瀧羽麻子(たきわあさこ)
1981年兵庫県生まれ。京都大学卒業。2007年『うさぎパン』で第2回ダ・ヴィンチ文学賞大賞を受賞。著書に『株式会社ネバーラ北関東支社』『いろは匂へど』『左京区桃栗坂上ル』『乗りかかった船』などがある。最新刊『ありえないほどうるさいオルゴール店』を5月に刊行。

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