<フリーサイズ>知多木綿×名古屋黒紋付染 日本の工芸生地を伝統工芸職人が染めたデザインシャツ 消炭色 byツムギラボ
愛知県で江戸時代から生産されている知多木綿。
そんな知多木綿でツムギラボ別注のオックスフォード生地を作りました。
シャトル機で織った表情豊かな生地はやや厚地でしっかりとした風合いです。
色は日本の伝統色を選びました。
消炭色(けしずみいろ)とは、消炭のような少し濃い灰色のことです。
消炭とは薪や炭火を消してつくった柔らかい炭のことで、黒に近い色を表していますが深い黒ではなく、色にも一種の柔らかさがあります。
明治時代ごろから使われるようになったようです。
こうした繊細な色合わせは着物で色を扱うことに長けた伝統工芸の
名古屋黒紋付染の職人さんに依頼しています。
名古屋黒紋付染は江戸初期の尾張藩から始まる愛知の伝統工芸。
丁寧に手染めをしていただいています。
シャツデザインもユニークに。
袖口の形状やオープンカラータイプの衿で一工夫。
背中の縫製が真ん中からずれているのは、知多木綿の織りあがった生地の幅
そのまま使っているから。
洋服文化になってから効率化の面でも1m以上の広幅の生地が使用されるようになりましたが、浴衣や着物などの和装は今も40㎝前後の小幅生地。
このシャツはそんな小幅生地をあえて使っていることを体現しています。
前身の大き目のポケットはスマホが余裕で入るサイズ13cm×17cmほどの大きさです。
生地、色、そしてデザイン。
このシャツの背景には様々なストーリーがあります。
【知多木綿】
「知多木綿」とは尾張知多一帯で織られる木綿のことをいいます。
慶長年間(1596年~1615年)にはその存在が確認されています。
後に江戸では「今までにない白さと品質の知多晒」と知れ渡り、
最も名の通った木綿ブランドになりました。
明治以降、豊田式動力織機発祥の地として日本一長く織機に携わり
培ってきた技術力と江戸時代から木綿と向き合ってきた職人の心意気
をそのままに、今も変わらぬ良質な生地を生み出し続けています。
【名古屋黒紋付染】
名古屋における黒紋付染は、慶長16年(1611年)に尾張藩紺屋頭の小坂井新左衛門が、
藩の呉服、旗、幟などの製造に当たっていたことが始まりといわれています。
紋糊伏せと呼ばれる技法を用い、主に尾張藩の半紙の定紋や、近郷近在の富豪、豪族等からの注文を受けて作られました。
その後、需要が増加するに伴い紋型紙板締めの技法が、黒紋付染師文助によって天保年間(1830~43年)に生み出され、明治になって板が金網に改良されたが、紋糊伏せの技法とともに現在まで受け継がれています。
【サイズ】
M-Lフリーサイズ(身幅53.5cm 着丈70cm 肩幅45cm 袖丈62.5cm)
Mサイズの方でゆったり、Lサイズの方でちょうど、なイメージです。
【素材】
綿100% (知多木綿)
【生産地】
日本製
【作り手】
知多木綿
山勝染工(染色)
tukuro(縫製/デザイン)
ツムギラボ(企画)
そんな知多木綿でツムギラボ別注のオックスフォード生地を作りました。
シャトル機で織った表情豊かな生地はやや厚地でしっかりとした風合いです。
色は日本の伝統色を選びました。
消炭色(けしずみいろ)とは、消炭のような少し濃い灰色のことです。
消炭とは薪や炭火を消してつくった柔らかい炭のことで、黒に近い色を表していますが深い黒ではなく、色にも一種の柔らかさがあります。
明治時代ごろから使われるようになったようです。
こうした繊細な色合わせは着物で色を扱うことに長けた伝統工芸の
名古屋黒紋付染の職人さんに依頼しています。
名古屋黒紋付染は江戸初期の尾張藩から始まる愛知の伝統工芸。
丁寧に手染めをしていただいています。
シャツデザインもユニークに。
袖口の形状やオープンカラータイプの衿で一工夫。
背中の縫製が真ん中からずれているのは、知多木綿の織りあがった生地の幅
そのまま使っているから。
洋服文化になってから効率化の面でも1m以上の広幅の生地が使用されるようになりましたが、浴衣や着物などの和装は今も40㎝前後の小幅生地。
このシャツはそんな小幅生地をあえて使っていることを体現しています。
前身の大き目のポケットはスマホが余裕で入るサイズ13cm×17cmほどの大きさです。
生地、色、そしてデザイン。
このシャツの背景には様々なストーリーがあります。
【知多木綿】
「知多木綿」とは尾張知多一帯で織られる木綿のことをいいます。
慶長年間(1596年~1615年)にはその存在が確認されています。
後に江戸では「今までにない白さと品質の知多晒」と知れ渡り、
最も名の通った木綿ブランドになりました。
明治以降、豊田式動力織機発祥の地として日本一長く織機に携わり
培ってきた技術力と江戸時代から木綿と向き合ってきた職人の心意気
をそのままに、今も変わらぬ良質な生地を生み出し続けています。
【名古屋黒紋付染】
名古屋における黒紋付染は、慶長16年(1611年)に尾張藩紺屋頭の小坂井新左衛門が、
藩の呉服、旗、幟などの製造に当たっていたことが始まりといわれています。
紋糊伏せと呼ばれる技法を用い、主に尾張藩の半紙の定紋や、近郷近在の富豪、豪族等からの注文を受けて作られました。
その後、需要が増加するに伴い紋型紙板締めの技法が、黒紋付染師文助によって天保年間(1830~43年)に生み出され、明治になって板が金網に改良されたが、紋糊伏せの技法とともに現在まで受け継がれています。
【サイズ】
M-Lフリーサイズ(身幅53.5cm 着丈70cm 肩幅45cm 袖丈62.5cm)
Mサイズの方でゆったり、Lサイズの方でちょうど、なイメージです。
【素材】
綿100% (知多木綿)
【生産地】
日本製
【作り手】
知多木綿
山勝染工(染色)
tukuro(縫製/デザイン)
ツムギラボ(企画)
展示
1人購入
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