南部紫波駄菓子。はっか玉。飴菓子。ハッカ。薄荷。オトナ駄菓子。
■内容量
145グラム
■原材料名
水飴、砂糖、オブラート、香料
■賞味期限
製造後180日
■保存方法
直射日光を避け、涼しい場所で保管してください。
■おもな原産地
海外
駄菓子は、四季を重んじ形や色や味で季節感を表現します。形は非文化地方ほど色彩がきつく、風味は他のいかなる菓子にもない異様さを持ち、かつ濃厚なものほど意義が深いものです。
駄菓子という名称が出たのは文政の頃で国花万葉記に雑菓子と記されております。 江戸時代、武士は貧乏で町民は裕福であったため、幕府はあらゆる手段で町民の生活を抑圧し、例えば庶民が食べる菓子には、一切白砂糖は使用できぬと云い、雑菓子以外は食べることができませんでした。それで駄菓子の駄は粗悪なもの「つまらぬもの」と軽蔑思想が生んだ言葉です。
駄菓子という言葉ができたのは明治の頃。幕末の頃から砂糖の生産が増え始め、明治になると台湾からの輸入により、貴重品だった砂糖を安価な値段で使えるようになりました。それにより黒砂糖、ざらめ、天光などを使った白砂糖の価値も落ち、しょうが糖や金花糖、金平糖は上菓子から駄菓子になりました。
その昔、郡領主の高水寺城主さまが北上川の流れに御神社「赤石」を名付けられ『今日よりは紫波と名付けん この川の石に打つ波 紫に似て』とよみ、それから紫波と改められたと伝えられております。その当時から、菓子職人の間で特産の穀類を原料に工夫し、時節には城主さまや家臣さまに献上もされ、また鎮守祭りには子供らにも楽しませる駄菓子でございました。
村上製菓では大正14年創業以来、今日まで全ての商品を手作りしております機械を使用するのは一部の商品の「焼く」などの行程にしかすぎません。「混ぜる」「練る」「伸ばす」「切る」「ねじる」「まるめる」などの行程は熟練職人による作品です。素材にこだわり、手法にこだわり、手作りにこだわる。そこから生まれる『村上製菓の駄菓子』永年の伝統技術の手法に先代が独自の創意をほどこした【南部紫波駄菓子】を親しい方々へのお土産に、お茶の友に。昔なつかしい、郷愁の味のご情味をおすすめいたします。