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大自然、歴史、街歩き。見どころ満載の熊本めぐりレポート

2022.01.21
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大自然、歴史、街歩き。見どころ満載の熊本めぐりレポート

こんにちは、クリーマの森永です。

先日公開した、くまもとの伝統工芸×Creema アイデア募集コンテスト のレポートはお楽しみいただけたでしょうか。約90品目の伝統的工芸品が受け継がれ、職人によるものづくりが盛んな地域としても知られる熊本県は、豊かな自然と歴史、モダンな建物や街並み、そしてここでしか食べられないご当地グルメが数多くあり、観光はもちろん移住・定住の地としても注目を集めている県です。

 

400年以上の歴史を有し、熊本地震で甚大な被害を受けながらも昨年春に天守閣が復旧を遂げ、復興のシンボルとして熊本を見守る熊本城。

火山が生み出す大自然、世界最大級のカルデラの絶景と、大地に育まれた清らかな水の景色を視界いっぱいに堪能できる、阿蘇の雄大な自然。

国指定の重要文化財の芝居小屋「八千代座」を中心に、江戸時代から続く商家や蔵など、歴史ある建物が並ぶ山鹿市。

相良藩700年の歴史を感じられる、小京都の一つ人吉市。

キリシタン信仰と歴史的に縁が深く、大小120余りの島からなる天草地域。

 

熊本県の各地域を駆け巡り、数えきれないほどの見どころと、ものづくりに取り組むクリエイターを取材してきました。自然や歴史を感じられるスポットはもちろん、いま話題のカフェや注目スポットも盛り沢山。どんな目的で訪れても充実すること間違いなし。

「落ち着いたらどこか旅行に行きたいな」そんな方に、ぜひ参考にしていただければと思います!
 

1,熊本市

熊本と言えば、まずはここ。復興のシンボルとしてよみがえった熊本城天守閣

▲当日はお天気に恵まれ、青空に映える堂々とした天守閣の姿をみることができました!

熊本、といえば、日本三名城に数えられる熊本城をまず思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。

2016年の熊本地震では、石垣や建造物が甚大な被害を受け、完全復旧には長い年月がかかると見込まれています。熊本城を愛する多くの方々の尽力により、昨年2021年の4月には天守閣が復旧! 内部の展示も、これまで幾度もの災害を乗り越えてきた「熊本城天守の歴史」にスポットを当てたものにリニューアルし、安全面・バリアフリーにも配慮された、よりたくましい姿に生まれ変わりました。

▲お城の内部を登っていくと、熊本城・天守の歴史や豆知識を解説する展示がたくさん。日本史が好きな私も、ここに来るまで知らなかったエピソードの数々に興味津々で、じっくり見入ってしまいました。

天守の最上階にいくと、おもわず声が漏れるほどの絶景が! 冬の澄んだ空気と快晴もあいまって、政令指定都市の一つ熊本市の市街地だけでなく、山々まで綺麗に見渡せました。

阿蘇の山々に抱かれるようにして街が広がる熊本の地形が、ダイレクトに感じられる光景です。街中からも姿を見ることのできる熊本城ですが、訪れた際にはぜひ、天守閣からの景色も堪能していただければ、熊本の魅力を2倍楽しむことができるはず。

 

天守の屋根には、熊本の街を力強いまなざしで見守るしゃちほこの姿も。

ところで、どうしてお城のうえにしゃちほこが飾られるようになったか、由来はご存知ですか?

木造建築が主流だった日本では、火事は大敵でした。しゃちほこは口から水をはきだして火を消してくれる、という伝説があり、もともとは寺院などで、火よけの守り神として飾られたのが始まりだそう。その後、豊臣秀吉や、全国の大名たちがお城の屋根のうえにしゃちほこを乗せ、鬼瓦と同様に守り神として大切にしてきたと伝えられています。

 

図面を手掛かりに熊本城天守のしゃちほこを再現したのは、地元で鬼瓦職人として設計・製造に取り組んできた「藤本鬼瓦製作所」の藤本さん。

天守の屋根に飾られるしゃちほこの再現への想いを、こう語ってくれました。

藤本鬼瓦製作所は、粘土で瓦を造る産地だったこの地で父が創業したのがはじまりです。昭和40年から工場も立てて本格的に製作を開始しました。

熊本地震で壊れてしまったしゃちほこは、先代の父が手掛けたものです。大天守の方のしゃちほこは落下して壊れてしまい、小天守の方はどうにか引っかかったものの、破損は免れませんでした。
父がしゃちほこを製作する際、自分はサポートとして入っていました。「100年と言わず、ずっと長く残り続けるものを作る」という想いで父とともに作っていたので、想定外の大地震で壊れてしまったことは残念で仕方なく、正直、心残りもありました。

「復興のシンボル」として、4体のしゃちほこを自分が新しく作り直すにあたっては、耐久性についてはこれまでの研究をもとにコツコツと向き合い、取り付け方についても、実際に屋根に上る方と相談をして進めました。

余震が続く中での再建でしたので、余震で壊れたらどうしようというプレッシャーもありました。しゃちほこは重さ100kgにも及び、保管中に倒れてしまったら大変です。
ある時余震で、積んでいた材料等が崩れてしまったとき、キャスターに乗せたままにしておいたものには傷が無かったことに気が付いたんです。そこからヒントを得て、その後の作業ではキャスター付きの台の上で保管をするなど、その時その時で考えうる最善の方法を取って進めていきました。

藤本鬼瓦製作所・藤本さん
▲しゃちほこの小型のオブジェ。

藤本さんが先代のお父様の想いを引き継ぎ、無事に完成したしゃちほこたち。天守の屋根に取り付けられ、今日も堂々と、守り神のように熊本の街を見守っています。

▲藤本鬼瓦製作所では、家庭用のインテリアオブジェも手掛けています。こちらは息子さんが手掛けた、今年の干支の寅モチーフの鬼瓦。力強さのなかに見える愛嬌ある表情が魅力です。

県指定の伝統工芸品が一挙にならぶ!熊本県伝統工芸館

さて、お次は熊本の人々の暮らしのなかで育まれてきた伝統工芸品を覗いてみましょう。

熊本城のほど近くに、「熊本県伝統工芸館」があります。ここでは、肥後象がんをはじめとして、木工品、染織物、竹製品、陶磁器、刃物など、県の指定を受けた伝統的工芸品90品目が一同に会し、展示やショッピングを楽しむことができます。

「きじ馬」(写真右)と「花手箱」(写真左)は、主に人吉球磨地域で作られている木工玩具。
800年以上前に逃れてきた平家の落人が、都での暮らしを懐かしみながら作り始めたと伝えられています。

きじ車は、野鳥のキジを模して、桐などの木材で胴体を作り、黄、緑、赤の顔料で着色、胴体に車輪と紐を付属させ牽引して遊ぶ玩具。子どもたちの成長を願う縁起物として古くから親しまれています。
首元に「大」の文字が描かれているのが特徴で、平家の落人が故郷の大文字焼きを思い「大」を入れたといわれています。
花手箱は樅、檜、杉などの板で作った箱で、白で地塗りしたあと、赤と緑で椿の花をあしらっています。


素朴で美しいデザインのきじ馬や花手箱は、人吉球磨地域を代表する土産物です。

▲やわらかで弾力を感じる触り心地。文様が非常に繊細で美しく、インテリアとしても飾りたくなります。

色とりどりの刺繍糸が華やかな、「肥後てまり」。

芯にへちまを用い、刺繍糸で様々な文様を施したてまりです。てまり唄の「あんたがたどこさ」に出てくるてまりは、この肥後てまりだと言われています。昭和43年に肥後てまり同好会ができ、現在までその技術が伝承されています。

最旬スポットも要チェック!町屋をリノベーションしたカフェ

熊本城にご挨拶をしたあとは、街歩きを楽しみます。

城下町の名残を感じる熊本の市街地、新町・古町地区には、辛子れんこんなどのご当地グルメや、肥後象がんなどの伝統工芸品の王道スポットのみならず、レトロモダンなカフェや飲食店も多く軒を連ねます。話題のお店や商業施設も続々オープンし、地元の方から観光客まで、街歩き・グルメ・ショッピングを楽しめるエリアです。

 

今回足を運んだのは、古町にある、荒物屋や削り節の店として使われてきた築120年の町屋をリノベーションしたコーヒーショップ「珈琲回廊」。約11カ国20種類の豆を取り扱っており、注文を受けてその場で生豆から焙煎しています。

▲世界中のコーヒー豆が並びます。奥には和菓子とともにコーヒーを堪能できる喫茶スペース、2階は交流の場としても使えるギャラリースペースになっています。

城下町界隈には、このほかにも旬な飲食店が数多く軒を連ねます。熊本に訪れた際にはぜひ事前にお店をチェックして、最新スポット巡りも楽しんでみてくださいね!

 

コーヒーでほっと一息ついたあとは、大自然が広がる阿蘇地域へ。特に山・アウトドア好きの友人からは「阿蘇の地形を実際に見られるなんて、うらやましい!」と散々うらやましがられていたため、どんな光景が広がっているのか、どきどきしながら向かいます。

2,阿蘇

阿蘇の雄大な山々と地形は圧巻!「火の国」・「水の国」熊本のシンボル

▲大自然のパワーに癒される図。

阿蘇山は約27万年前に誕生し、以後活発な火山活動を繰り返してきました。陥没した地形をくっきりと見ることができる世界最大級のカルデラは、およそ9万年前の大規模な火砕流噴火に伴って形成されたものだそう。想像が及ばないくらいの歴史をもつこの土地は、大自然の息吹を間近に感じることができます。

噴煙を上げる中岳を望み、大きな池や、放牧された馬が悠々と歩く姿など、絶好のロケーションを誇る草千里。阿蘇を代表する観光地のひとつで、約3万年前に形成された直径約1kmの火口の中に、約400mの火口が生じた二重の火口です。

阿蘇の草原は日本一の広さ。道中ではのんびりと歩く牛の可愛らしい姿も見られました!

▲阿蘇山は、今も火山活動を続ける活火山。噴出する火山ガスが確認されることも。火山活動の状況によっては、火口付近に近づけないこともあるので、訪れる際には事前に阿蘇火山防災会議協議会のHPをご確認くださいね。

名水百選にも選ばれた南阿蘇の湧水・白川水源

水の生まれる郷として知られる南阿蘇村の中央を流れる清流白川の総水源・白川水源。湧水量はおよそ毎分60トンで、1985年に環境省の日本名水百選に選定されました。水源の水は自由に汲んで持ち帰ることもでき、加熱処理された水も販売されています。

また、古くから水に対する信仰があったようで、水源地横の白川吉見神社には「みつはのめ神」という水神様が祀られています。

▲底が見えるほどに澄んだ美しい水……まるで絵画のような光景でした。

実際にお水に触れてみました。冷え込みの強い日でしたが、不思議と「肌あたりがやわらかい」……!

清流の澄んだ味わい・口当たりを堪能させていただきました。

温泉地としても人気の小国郷で、自然と向き合いものづくりに取り組む家具職人さん

阿蘇の山あいにある小国郷は、黒川温泉をはじめとする多彩な温泉の点在する温泉地として有名。また、およそ250年前から、地域のシンボルである「小国杉」の森を、幾世代もの人々の手で育ててきた林業の郷でもあります。

この地で家具職人としてお二人で活動されているかける木工舎さんに、小国郷でのものづくりについてお話をうかがってきました。

▲無垢の小国杉からひとつひとつ切り出し、丸みのあるシルエットに仕上げたカッティングボード。ほんのりピンクがかった色味も美しいです。

もともと私たちは、長野県の木曽にある木工の学校で出会いました。その後、それぞれ長野県伊那市・宮崎県宮崎市で3年程修行をしていました。
「自然に囲まれた阿蘇でものづくりができたら」という想いで移住先を探し、元々工房として使われていたこちらの物件と出会ったのがきっかけで、小国町へと移住しました。

普通、木工には広葉樹を使うことが多いのですが、ここに住んでから「地元の小国杉を使ったものが欲しい!」とリクエストをいただくことが増え、小国杉を使ったものづくりにも取り組むようになりました。
小国杉の特徴は、そのやわらかさとサーモンピンクがかった綺麗な色味。やわらかいゆえ、扱いにはコツがいりますが、独特のぬくもりを感じることができます。

例えば椅子は、同じ形でも木材が違うと座り心地も違うんです。そのくらい、どの木材を使うかは使い心地に影響します。

かける木工舎さん
▲小国杉で作られたちゃぶだい。あたたかく手に馴染みます。円形なので、何人でも囲める使い心地。

工房の前には、溶岩がかたまって出来た川が流れます。シカやアナグマ、ウサギなど、野生の動物たちも見られるそう。

自然には厳しさもありますが、その豊かさのなかで地元の木と向き合い、ものづくりの取り組むことで、より木材の魅力が活きるのかもしれません。

 

かける木工舎さんの家具は、小国郷のいくつかの温泉でも使われているそう。ここにしかない「小国杉」の魅力、ぜひ作品を通して感じて見てください。

3,山鹿市

築100年を超える重要文化財の芝居小屋・八千代座

続いて訪れたのは、江戸時代から続く商家や蔵など、歴史ある建物が並ぶ山鹿市。その代表的なスポットはなんといっても、国指定の重要文化財にも認められている芝居小屋の八千代座。

八千代座は、1910年に旦那衆と呼ばれる山鹿の実業家たちによって建てられました。ドイツ製のレールを使った廻り舞台や桝席・花道など充実した機能を持ち、江戸時代の歌舞伎小屋の様式を今に伝えています。いまも現役の芝居小屋として、地元住民による公演から著名な歌舞伎役者たちの公演までおこなわれています。

さっそく、中を見学してみましょう。

▲シャンデリアやほのかな灯りの提灯など、明治から続くロマンが感じられます。木造二階建てで、現在の収容人数は約700人。
▲天井には、当時を再現した広告がぎっしり!なんとも華やかな空間です。
▲木の棒で仕切られた桝席。現在は大人4名で座りますが、当時はなんと8名で座っていたそう! 体格が今よりも小柄とはいいますが、公演を楽しみにしていた人々が、ぎゅっと身を寄せあっている光景が目に浮かびます。

見学時には、舞台下の仕掛けを見ることもできます。舞台中央には「廻り舞台」と呼ばれる舞台装置があり、なんと人力で廻しています。歌舞伎などで、場面転換を早めるため効果的に使われるもので、舞台裏には次の場面が準備されています。重さ3.2トンものレールと車輪を、大人4人でまわしていたそう。

 

荘厳ながらも、どこか温かみを感じる八千代座。地元の方に愛され大切に守られてきたのが伝わります。

ぜひ次回は、お目当ての催し物のある日に訪れたいと思います!

歌舞伎役者も愛した、伝統の渋うちわ

また、山鹿市東部の来民地区は、京都・丸亀と共にうちわの三大産地としても知られています。 八千代座を訪れた歌舞伎役者にも愛される、丈夫で長持ちする渋うちわは、 贈答品や記念品としても大人気です。

1889年に創業し、来民渋うちわを作り続ける栗川渋うちわさんを訪ね、お話をうかがってきました。

▲職人さんも並ぶ、工房の様子。現在6名の職人さんがうちわ作りをしています。

来民うちわは、1600年に四国・丸亀の旅僧が一宿の謝礼にうちわの製法を伝授したことがはじまりとされています。

柿渋(=豆柿を潰して醗酵させた液体)をうちわに塗ることにより、和紙を丈夫にし、長持ちさせ、防虫効果の役目を果たします。熊本の来民でしか作られない来民渋うちわは、"民が来る"と言う意味で商売が繁盛するとされ、縁起物として贈り物にも使われてきました。

様々な年数の柿渋を試した結果、私達は、約5年間ほど熟成醗酵させた天然100%の自家製柿渋を使用しています。年数を経るごとに匂いや色味も変わっていくんですよ。

栗川渋うちわ・栗川さん
▲うちわの骨は、職人の方が竹を刃でスライスするようにして作られます。手早く、細く切り込みを入れていく様子に熟練の技を感じます。
▲うちわのフチに、和紙を貼って補強しているところ。のりがかわかないようスピーディーに正確におこなう必要があります。流れるように作業されていますが、絶対に真似できない繊細な手技……!

うちわ、と聞くと夏に涼をとるために仰ぐものというイメージが大きいですが、日本らしい暮らしの工芸品として、フランスなどヨーロッパでも注目を集めているそう。

贈答品や記念品、そしてインテリアとして。異業種とのコラボレーションにも積極的に挑戦し、渋うちわの魅力を世界中に届けたいと、想いを教えてくださいました。

4,天草・三角

世界文化遺産にも登録。信仰の歴史をしのばせる﨑津集落

島ならではの絶景が臨める、大小120余りの島からなる天草地域。キリシタン信仰と歴史的に縁が深く、 なかでも当時の信仰をしのばせる﨑津集落は、2018年に世界文化遺産にも登録されています。

 

1569年にキリスト教の布教が行われたこの地では、1638年の禁教令以後、激しい弾圧を受けながらも240年間に渡って「潜伏キリシタン」として信仰が守られてきました。

﨑津の潜伏キリシタンで漁業を生業としていた人たちは、アワビやタイラギの貝殻の内側の模様を聖母マリアに見立てて崇敬したり、貝殻を用いて信心具を作るなど、他地域には見られない独特の漁村信仰を育みました。1651年に建立された﨑津諏訪神社へ詣でる際には、「あんめんりうす(アーメン デウス)」と唱えていたという伝承もあり、この地域ならではの信仰文化が伝えられています。

﨑津集落のシンボル的存在の﨑津教会は、美しいゴシック建築の建物。ちょうどクリスマス前だったこともあり、クリスマスの飾りつけもなされていました。堂内は国内でも数少ない畳敷きになっているそう。

※信仰の場である﨑津教会の拝観には、事前予約が必要です。訪問の際は、ご注意ください。

明治日本の貿易を支えた三角西港

▲小泉八雲の紀行文の舞台にもなった旅館、浦島屋。

﨑津集落から車で移動し、明治三大築港の一つである三角西港へ。明治20年にオランダ人技師により開港したこの港は、国の特別輸出港に指定され、九州の貿易の中心地として栄えました。石積み埠頭などの施設がほぼ原形のまま残っていて、当時の賑わいをしのばせます。明治三大築港のうち完璧に現存するのは日本でここだけだそう。

▲海を眺めながら、のんびり。

海の風と歴史を感じる天草・三角をあとにし、いよいよ最後の目的地へと向かいます。

自然豊かな穏やかな天草で布花・白磁のアクセサリーを手掛けるBLUE HANNAさん

熊本県八代市に生まれ、天草の地に移住をしてものづくりを続けるアクセサリーデザイナー・BLUE HANNAさんに、この街でのものづくりについてお話を聞かせていただきました。

2年前に家族の転勤をきっかけに、天草へと移ってきました。もともと私は作家ではなく別の仕事をしていたのですが、休職をしていたときに手仕事と出会いました。洋裁が得意で、子どもの頃に洋服を作ってくれた母の影響もあったのかもしれません。

良質な陶石がとれるこの地で、あるとき白磁を作っている窯元さんと出会いました。天草陶石は品質がよく全国シェア8割であるのに、その名前が知られておらず、地域の良いものを器以外の形でも広く知って欲しい……そんな思いで制作に取り組みました。
「こんなパーツがほしい」というのを実際にこねて形にしながら、窯元さんにお手伝いいただき「天草陶花」という白磁のアクセサリー作りをはじめました。

天草陶石でつくる白磁は、白いけれどもほんのり青みがかった色合いが魅力の一つです。強度も出やすいので、デザインもしやすく、「こんなアクセサリーが作りたいな」という完成イメージからパーツを作ることもあります。

天草のいいところは、自然が豊かなところと、人があたたかいところではないでしょうか。ふとした道端で美しい花が咲いている、というのは、都市部ではなかなか得られない体験です。冬の、人がいない海岸での静かな時間も大切なひとときです。

毎日の暮らしや大事なときに、ちいさな元気や幸運をお届けできるような、着けた方に「そのままでいいんですよ」と寄り添えるようなものづくりを、これからも続けていきたいです。

BLUE HANNAさん

5,人吉・球磨地域

日本中で人吉の地だけに残るカルタ遊び、ウンスンカルタ

▲人吉は、伝統工芸館で出会った「きじ馬」と「花手箱」の故郷。大きな姿でお出迎えしてくれました。

熊本への最後の滞在で訪れたのは、九州山地に囲まれた山々と、球磨川を代表とする川など、自然の見どころたくさんの人吉球磨地域。人吉市は、社殿が国宝にも指定された 創建1200年以上の青井阿蘇神社をはじめ、相良藩700年の歴史を感じられる、小京都のひとつです。

 

実は人吉市には、日本中でこの地だけに残された「ウンスンカルタ」というカルタ遊びが伝わります。

16世紀半ばに渡来したポルトガルの船員たちが長い航海の間に興じたカード遊びが伝わり発展してウンスンカルタとなりましたが、のちに幕府が一切の遊戯を禁止したことから衰退していきました。

唯一ウンスンカルタの姿を現在に伝えるのが人吉市。どうしてここにだけ文化が残ったのか、様々な説が言われていますが、幕府から離れた辺境の地だったことや、当時この地を治めていた大名・相良氏が領民に対して寛容であったことが理由の一つではないかとささやかれています。

人吉市では今もウンスンカルタの全国大会が開催されるなど、文化を継承し続けています。

▲ウンスンカルタの話を聞かせてくださった、明治10年創業の老舗お茶屋・立山商店さん。ウンスンカルタの大会の運営に携わっておられます。

ウンスンカルタの絵柄は、見慣れたトランプとは異なり、花札や麻雀牌の雰囲気にも似ています。トランプの「スペード・ハート・クラブ・ダイヤ」に相当するのが「イス(剣)・コツ(聖杯)・パオ(棍棒)・オウル(貨幣)・グル(巴紋)」で、カードの名前やルールはポルトガル語で呼ぶのがならわし。

 

4対4のチーム対戦式のゲームで、"強いカード"を出した人がカードを全てとります。カードがなくなるまで繰り返し、最終的に多くのカードを獲得したチームが勝利となります。

一見シンプルに聞こえるルールですが、耳慣れない言葉でカードの強さ・名前を覚えるのになかなか苦戦……地元の小学生などは、1日でルールを覚えてしまうというから、子どもの頭の柔軟性がうらやましくなりました。

 

ルールを覚えて、人が集えばすぐにはじめられるウンスンカルタ。その不思議な歴史とともに、この遊び方や華やかな絵柄のカードの魅力を、私も伝えていきたい!と思いました。(目下の目標は、クリーマ ウンスンカルタ部を結成することです)

水害を乗り越え、全国に魅力を伝える球磨焼酎

お酒好きの方でしたら、人吉球磨地域といえば「球磨焼酎」!とまず思い浮かべてしまうかもしれませんね。

人吉は、盆地特有の地形の大地と球磨川の豊かで清涼な水から生まれる 米焼酎のトップブランド、約500年の歴史を誇る「球磨焼酎」のふるさとでもあります。どんな料理にもあわせられるすっきりとした味わいが人気で、近年、全国区で注目を集めています。

 

今回は、本格米焼酎「白岳」や「しろ」で知られる高橋酒造さんに、球磨焼酎の魅力や、2020年の水害からの復興についてお話を伺いました。

▲高橋酒造さんの「球磨焼酎ミュージアム」では、球磨焼酎が出来上がるまでの工程や、これまでの広告など、球磨焼酎の歩みをうかがうことができます。

2020年の豪雨災害では、球磨川から離れていた本社や倉庫には被害は無かったものの、人吉市内の倉庫が浸水し、内部にあった8万本のうち3万本を廃棄しないといけなくなりました。

球磨焼酎には、江戸時代から続く蔵元が27蔵あります。多くの蔵が大変な被害に遭いましたが「1蔵でもなくなったら、球磨焼酎はなくなる。27蔵で球磨焼酎だ」という想いをつなぎ、高橋酒造も倉庫が浸水してしまった他の蔵の搬送に、3か月以上奔走しました。

500年の歴史を持つ球磨焼酎は、これまで地下水の恩恵を受けて育まれてきました。そんな愛する球磨川を清流に戻そう。この先も文化をしっかりと継承していこう。そんな気持ちを持っていました。

球磨焼酎の魅力は、天草の海の幸や阿蘇の山の幸の味わいを邪魔しない、繊細な味わい。食事との組み合わせを大事にしているので、料理にも合わせやすいと評判です。
また、2019年に"香る酒"をコンセプトにリリースした「白岳KAORU」は、特に香りと味覚のバランスにこだわりました。香りの高い吟醸香が楽しめ、炭酸で飲む方も多いです。

これからも、今出来ることに真摯に向きあいながら、球磨焼酎の魅力を全国・世界に届けていきたいと思います。

高橋酒造さん
▲球磨焼酎ミュージアムには、高橋酒造のみならず、球磨焼酎を造る蔵元の焼酎もずらりと並びます。「27蔵で球磨焼酎」という強い想いが伝わります。

お土産にいただいた「白岳KAORU」を、帰宅後、普段米焼酎を飲みなれていない家族にプレゼントしました。お湯割りとソーダ割りでいただいたのですが、となりにいても仄かに香る、華やかな香りにびっくり……!

口当たりは優しく、まさに料理に合わせやすいお酒。早速、近所で買えるお店がないか検索していました。

 

27蔵で力をあわせて復興へと歩みを進める球磨焼酎。ぜひその味わいを、みなさんも楽しんでみてください。

自然に、歴史に、ものづくり。数えきれない熊本の魅力を、ぜひその目で。

熊本市から、阿蘇、天草、山鹿、人吉まで。短い期間ではありましたが、熊本のたくさんの観光地やものづくりの現場に、足を運ばせていただきました。

 

熊本城やくまモン、阿蘇山にご当地グルメの馬刺しや辛子れんこんなど、全国的に有名なものをたくさん有する熊本県。

実際に足を運んでみると、びっくりするような美しい光景や、絶品揃いの海の幸・山の幸、モダンな建物や話題のスポット……正直、数日では堪能しきれないほどの数々の魅力に、圧倒されました。

 

久々の旅行に出かけようと思うと、優先順位に迷うもの。自然も街歩きもグルメも楽しみたい! そんな方はぜひ、熊本に足を運んでみてくださいね。

この記事は、熊本県さまから委託を受け株式会社クリーマで制作しています。

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