七三クリーマのプロフィール
家業である有限会社プレジールは、裂地ハンドバッグの製造卸。
その四代目、ウメオと申します。
Creema「エドーノ」では、私、四代目ウメオ自らが手掛けているる、江戸袋物「合切袋」をアレンジしたオリジナル商品「ミナレス」を販売しています。
【合切袋(がっさいぶくろ)とは?】
明治時代に女性の間で大流行した江戸袋物のひとつです。
巾着タイプの袋物で、現代では、男性用の和装小物として多く使われています。
日本生まれの「合切袋」は、「コキ」と呼ばれる紐通しの部材に紐を通した「袋スタイル」が一般的で、その紐で袋の口を絞り、手に提げて使用します。
巾着タイプの「合切袋」は、粋で大変使い勝手の良い袋物なのですが、洋服には合わせにくいと自ら思っていました。
洋服でも使いやすい「合切袋」を作れないものか?と考え、生み出したのが、こちらで販売している「ミナレス」です。
【制作の背景】
私の曽祖父は、1930年代にパリで開かれたパリ万国博で金杯を受賞したハンドバッグを手掛けた職人で、その息子である私の祖父が1966年に家業を創業しました。祖父は和装バッグの定番「利休バッグ」の誕生に深く、大きく関わるなど、代々、袋物の制作に携わり続けています。
弊社は創業以来、1人の職人が型紙作りから仕上げに至るまで一貫して担当し、完全ハンドメイドで1本ずつバッグを制作する体制を取っています。取引先から材料となる帯地などをお預かりし、バッグに加工、完成品を取引先に戻すのが家業の仕事となります。
また、弊社の職人が皇族方がお使いになられる和装バッグの制作を長年にわたり担当させて頂いており、これが弊社の技術力の高さや信用と信頼の証となっています。
近年、裂地バッグの職人は高齢化が急速に進み、後継者もいない状況となっています。このままでは日本の袋物文化が消えてしまう、と言う事に焦り、自ら職人から縫製方法をしっかりと学び、受け継ぎました。
「ミナレス」は、縫製方法にもこだわっており、表側に一切の縫い目が出ない「縫い返し」と言う伝統的な仕立て方法で、1本ずつハンドメイドで仕上げています。
どうぞ、ごゆっくり商品をご覧頂き、お買い物をお楽しみ頂けますと幸いです。
【ミナレスとは?】
日本語の「みんな」とドイツ語でオールを意味する「アレス」を私自身が造語し、「一切合切」を言い換えました。
その四代目、ウメオと申します。
Creema「エドーノ」では、私、四代目ウメオ自らが手掛けているる、江戸袋物「合切袋」をアレンジしたオリジナル商品「ミナレス」を販売しています。
【合切袋(がっさいぶくろ)とは?】
明治時代に女性の間で大流行した江戸袋物のひとつです。
巾着タイプの袋物で、現代では、男性用の和装小物として多く使われています。
日本生まれの「合切袋」は、「コキ」と呼ばれる紐通しの部材に紐を通した「袋スタイル」が一般的で、その紐で袋の口を絞り、手に提げて使用します。
巾着タイプの「合切袋」は、粋で大変使い勝手の良い袋物なのですが、洋服には合わせにくいと自ら思っていました。
洋服でも使いやすい「合切袋」を作れないものか?と考え、生み出したのが、こちらで販売している「ミナレス」です。
【制作の背景】
私の曽祖父は、1930年代にパリで開かれたパリ万国博で金杯を受賞したハンドバッグを手掛けた職人で、その息子である私の祖父が1966年に家業を創業しました。祖父は和装バッグの定番「利休バッグ」の誕生に深く、大きく関わるなど、代々、袋物の制作に携わり続けています。
弊社は創業以来、1人の職人が型紙作りから仕上げに至るまで一貫して担当し、完全ハンドメイドで1本ずつバッグを制作する体制を取っています。取引先から材料となる帯地などをお預かりし、バッグに加工、完成品を取引先に戻すのが家業の仕事となります。
また、弊社の職人が皇族方がお使いになられる和装バッグの制作を長年にわたり担当させて頂いており、これが弊社の技術力の高さや信用と信頼の証となっています。
近年、裂地バッグの職人は高齢化が急速に進み、後継者もいない状況となっています。このままでは日本の袋物文化が消えてしまう、と言う事に焦り、自ら職人から縫製方法をしっかりと学び、受け継ぎました。
「ミナレス」は、縫製方法にもこだわっており、表側に一切の縫い目が出ない「縫い返し」と言う伝統的な仕立て方法で、1本ずつハンドメイドで仕上げています。
どうぞ、ごゆっくり商品をご覧頂き、お買い物をお楽しみ頂けますと幸いです。
【ミナレスとは?】
日本語の「みんな」とドイツ語でオールを意味する「アレス」を私自身が造語し、「一切合切」を言い換えました。