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Creemaのweb小説「虹にすわる」 ロープウェー 1-4

2018.04.25
Creemaのweb小説「虹にすわる」 ロープウェー 1-4

ー 登場人物紹介 ー

徳井:職人である祖父を見ながら育った影響でものづくりを志し、東京の工業大学に進学。卒業後、住宅メーカーで営業職として勤務。一年前に帰郷し修理屋の仕事を継いでいる。

 

魚住:徳井の大学の後輩。東京出身。学生時代から徳井の木工の才能にほれこみ、無邪気に慕う。卒業後は家具工房に弟子入りしていた経験あり。徳井のもとへ転がりこむ。

 

じいちゃん(徳井の祖父):元仏壇職人。引退後は町の修理屋/便利屋として働き、ご近所からも「徳さん」と慕われている。一年前に腰を痛めて休養中。

 

ー あらすじ ー

東京でメーカーの営業職として働いていた徳井は、育ての親である祖父の体調を心配し、退職し故郷に戻る決心をした。かつては仏壇職人として、今は町の修理屋として、人々に慕われている祖父の仕事を手伝いながら、生まれ育った土地での穏やかな日々を過ごす徳井。
そんな折、大学時代の後輩、魚住が現れ、一緒に椅子工房をやろうと言う。徳井の木工の才能に惚れ込んでいる魚住にとって、それは十年ぶり二度目の誘いだった。
現実味のない申し出にとまどう徳井だが――

 

>> これまでのストーリーはこちら

翌朝、魚住はなかなか起きてこなかった。

 

朝食を用意するのは、徳井の役目だ。用意といっても、食パンを焼き、牛乳とカップ入りのヨーグルトを冷蔵庫から出すだけだから、五分とかからない。魚住の分は、ひとまず皿とコップだけ食卓に並べておくことにした。

 

「好きなだけ寝かせとこう」

トーストをかじりながら、じいちゃんが言った。

「うん」

 

徳井もそのつもりだった。

 

ゆうべ、夕食を終えて家に戻った後、魚住が風呂に入っている間に、徳井はじいちゃんに文句を言った。

「ちょっと甘やかしすぎなんじゃない?」

じいちゃんは眉間にしわを寄せて、徳井を見つめた。

「律、あいつの顔見たか?」

 

なにを言われているのか、徳井にはのみこめなかった。見ていないわけがない。ついさっきまで、隣で食事をしていたのだ。

 

「見たけど?」

「正面から、ちゃんと見てみろ」

 

徳井は半信半疑で、風呂からあがってきた魚住をこっそり観察した。そうして、じいちゃんの言っていた意味を理解した。

魚住は疲れていた。というか、やつれていた。

 

食事中は話に夢中だったせいか、特段なにも感じなかったが、蛍光灯の下であらためて眺めてみると、憔悴ぶりは明らかだった。頬が心なしかそげ、目にも力がない。長旅をしてきた上、泊まる場所が確保できて、気が抜けてもいるのだろうか。

 

いずれにしても、元気のない魚住というのは珍しい。むげに追い返さなくてよかったと徳井は内心思った。

 

あこがれの工房で働けると決まって、魚住がどんなに喜んでいたか、徳井はよく覚えている。いやになって辞めただなんて、子どもじみた言い草だとあきれたけれど、それでも十年近くも勤めあげたのだ。魚住なりに考えるところもあるのだろう。この機会に、しばらくのんびり休憩するのも悪くないかもしれない。

 

徳井が家を出る時間になっても、魚住はまだ起きてこなかった。

 

「すいません、寝坊しちゃって」

情けない声で電話がかかってきたのは、一時過ぎだった。

「今から行きます」

「今日はもういいよ。家でゆっくりしてろ」

 

次の仕事は、前日から持ち越しになった、網戸の修繕である。もとからひとりでやるつもりだったし、魚住がさほど役に立つとも思えない。

正直にいえば、魚住が修理屋という仕事に向いているかは疑わしい。

 

大学時代から、細かい作業は苦手だった。木工実習の課題として作る家具や小物も、図面どおりにしあがらなくても気にせず、これはこれで味があるよね、と開き直っていた。不器用というよりは雑なのだ。どちらかといえば、手先ではなく性格の問題かもしれない。徳井のほうは、木材の接合部や板の断面なんかが、ほんのわずかでもずれたりゆがんだりしていると、気持ちが悪くてしかたない。見るに見かねて、魚住の作品を手直ししてやったこともあった。

 

「いや、行く。徳井さんを手伝う」

魚住は譲らない。

「いいって。明日また手伝ってくれればいいから」

「いや、行く」

 

押し問答の末に、徳井は家に寄って魚住を拾ってから、客先へ向かうことにした。

 

せっかく本人もはりきっているのに、かたくなに断るのも気がひける。仮にも家具職人として経験を積んできて、学生の頃よりは手作業も得意になっているはずだ。網戸の修繕でそこまで神経質になる必要もないだろう。

 

門の前で軽トラックに乗りこんできた魚住は、よく眠ったせいか、昨晩よりはだいぶ元気そうだった。

 

「軽トラに乗るのも十年ぶりだあ」

 

助手席ではしゃいでいる魚住を横目に、おれもたいがい甘いよな、と徳井は苦笑してしまう。これじゃあ、じいちゃんのことを言えない。

 

が、いざ魚住とともに仕事にとりかかってみると、のんきに苦笑してばかりもいられなくなった。

 

さほど役に立たない、どころではなかった。徳井の予想をはるかに上回って、いや、下回ってというべきか、魚住はともかく全然役に立たなかったのだ。

 

 

すべり出しは、悪くなかった。

 

「昨日は失礼しました」

恐縮しながら迎えてくれたのは、徳井が電話の声から想像したとおり、上品なおばあさんだった。

 

案内された居間は、奥が一面窓になっていて、新緑で彩られた庭が見渡せた。おばあさんは窓に近づき、胸の高さの一点を指さした。

「これなんですけど」

徳井は彼女の手もとをのぞきこんだ。ガラスの外側にはまっている網戸に、無残な穴が開いている。

「うわ、ひでえな」

無遠慮な声を上げた魚住を、徳井はひじで突いた。幸い、おばあさんは気分を害する様子もなく、ひどいでしょう、と深くうなずいている。

 

なんでも、ゴールデンウィークに帰省した娘夫婦が、飼い猫も連れてきたのだという。人間たちが目を離したすきに、網戸にとまった蝶をめがけて飛びかかり、惨事が起きてしまった。

 

「猫はいろいろだめにしちゃいますよね。うちの実家も飼ってたから、わかります」

魚住が言う。

「そうなのよ。この間はソファーで爪をといでね。ほら、そこの柱にも傷があるでしょ? あれもやられたの」

「ほんとだ。いつもならともかく、たまだとゆだんしちゃいますしね」

「そうそう。でもねえ、娘があんなにかわいがってるのに、連れてくるなとも言えなくって」

 

なにやら話がはずんでいる。徳井はこういう雑談が不得手なので、魚住が引き受けてくれるのは助かる。その間に、あらためて網戸の穴を確認した。

 

「この状態だと、破れたところをふさぐより、全部張り替えちゃったほうがいいかと思うんですが」

徳井が提案すると、おばあさんはうなずいた。

「わかりました。お任せします」

 

広いほうがやりやすいから、庭で作業することにした。いったん網戸をとりはずし、横向きに寝かせて、魚住とふたりで両側から持ちあげる。

 

「そうっとな」

「はあい」

声をかけあい、そろそろと腰を落として地面に置こうとしたところで、魚住が妙な声を上げた。

「ひゃっ」

 

急に網戸から手を離して、後ろへ飛びのく。不意をつかれた徳井は体勢をくずしそうになり、かろうじて踏んばった。

 

「ちょっと、なにやってんだよ?」

無事に網戸を地面に横たえ、顔を上げると、魚住は片手をちぎれんばかりに激しく振り回していた。

「どうした?」

「手に! 虫が! 手に!」

 

しどろもどろに訴えてくる。よく見たら、手の甲に鮮やかな黄緑色のものがへばりついている。

 

徳井は涙目になっている魚住に歩み寄り、毛虫をつまみあげて、そのへんにぽいと放った。

「ありがとう」

魚住はTシャツの裾で、毛虫のくっついていた手の甲をごしごしとこすっている。そういえば前回の滞在中にも、家のどこかで虫と遭遇するたび、いちいちけたたましい金切声を上げては徳井を呼びにきていた。

 

「この木についてたのかな」

徳井は頭上に張り出しているこずえをあおいだ。

「お前、そんなんじゃ、ここでは暮らせないよ。東京とは違うんだから」

「あら、東京の方なの?」

部屋の中からほほえましそうにふたりを見守っていたおばあさんが、口を挟んだ。

「はい」

答えた魚住から、網戸に向き直った徳井へと視線をずらして、おばあさんは首をかしげた。

「もしかして、ご兄弟?」

「そう見えます?」

魚住がうれしそうに応えたのをさえぎって、

「違います」

と、徳井はきっぱりと否定した。冗談じゃない。

 

道具を広げ、魚住にも手伝わせて、枠から古い網をはずした。毛虫の再来におびえる魚住が上ばかり気にしているので、ひどくやりにくかった。

 

それでもなんとか終わらせて、新しい網を張ろとした矢先に、折悪しくどこからか虻が飛んできた。

「うわあ、蜂、蜂、蜂」

 

魚住が両手をめちゃくちゃに振り回し、悲鳴を上げて逃げまどう。

「お前はもういいよ」

 

庭中を駆け回ったあげく、土の上にしりもちをついた魚住を見下ろして、徳井は言い渡した。

 

 

明くる日からは、魚住も無理やり徳井についてこようとはしなくなった。

 

手伝いどころか足手まといになったと、さすがに自覚したらしい。人手が足りないわけでもないし、せっかくはるばるここまで来たのだから、しばらくのんびりしたらいいと徳井からもすすめた。このあたりは屋内外にかかわらず虫が多いとおどしておいたのも、いくらか効いたのかもしれない。

 

そんなわけで、平日の日中は、魚住は主にじいちゃんと過ごしていた。

 

海や川で釣りをしたり、将棋を教わったり、その日のできごとを徳井にも楽しそうに報告してくる。釣りに関しては徳井よりも筋がいい、ただし生餌を使えないのが致命的だ、というのがじいちゃんの評価だった。将棋のほうは、話にならないらしい。じいちゃんの家庭菜園では、なるべく土に近づかないようにびくびくしながらも、水やりを手伝っているそうだ。

 

日に日に元気を取り戻していく魚住に、この先どうするつもりなのか、徳井もじいちゃんもあえてたずねなかった。ひとまず、よけいな心配ごとにわずらわされずに休養するのが一番だと、意見が一致していたのだ。

 

もっとも、魚住はそういうことをくよくよと思いわずらう性質でもない。近いうちにすっかり回復して、たいくつして、東京へ戻っていくだろう。

 

椅子工房を開くとかいう話も、蒸し返されることはなかった。やってきた当初、魚住は徳井の帰郷について完全に誤解していたし、気持ちもやや弱っていたようだけれど、冷静になってみれば、あまりに突拍子もない思いつきだと納得したらしい。

 

そうではなかったと徳井が知るのは、魚住が現れてから2週間後のことだった。(つづく)

<「虹にすわる」が幻冬舎より書籍化されました!>

第2章『足して二で割る』、第3章『バーベキュー』、第4章『ヤツメウナギ』、第5章『十七番の椅子』、最終章『吹雪のち虹』は書籍でお楽しみください。

瀧羽麻子(たきわあさこ)
1981年兵庫県生まれ。京都大学卒業。2007年『うさぎパン』で第2回ダ・ヴィンチ文学賞大賞を受賞。著書に『株式会社ネバーラ北関東支社』『いろは匂へど』『左京区桃栗坂上ル』『乗りかかった船』などがある。最新刊『ありえないほどうるさいオルゴール店』を5月に刊行。

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