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とっておきの暮らしの道具を見つけに。伝統的工芸品の産地めぐり

2020.12.25
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とっておきの暮らしの道具を見つけに。伝統的工芸品の産地めぐり

こんにちは、クリーマ編集部の森永です。

様々な変化に見舞われた2020年も、終わりを告げようとしております。

 

Creemaでは11月より、日本各地で受け継がれてきた伝統の技で、暮らしを豊かに彩ってきた"伝統的工芸品"と出会える「KOUGEI EXPO 2020 ONLINE」を実施中です!

染めものや器、人形や焼きものなど、全国津々浦々に伝わる伝統的工芸品が集まっております。もうご覧いただけたでしょうか?

伝統的工芸品は、その土地ならではの風土や歴史によって育まれたもの。きっと、産地に行くこと・作り手の声を直接聞くことによって知ることができる熱量や、その技術の貴重さがまだまだあるのではないか……。

 

そんな想いを抱えて、今回は伝統的工芸品の産地と工房をたずね、作り手の方にインタビューをしてきました。

備前焼、博多織、樺細工、尾張仏具、江戸木目込人形……。

それぞれが持つ成り立ちや歴史は、作品の特徴とも密接に結びついています。全てに通ずる"伝統的工芸品"ならではの奥深さと、作り手の方の製作にかける真摯な想いをご紹介します。

ぜひ、じっくりとお楽しみください。

 

※取材には最小限の人数で、感染症対策をしたうえで臨んでおります。

<岡山県・備前焼>土と炎が作る唯一無二の模様。千年の歴史を持つ器

▲今回取材にうかがった作り手 器 takagiさんの作品たち

最初に取材へ伺ったのは、焼きものの里として名高い岡山県備前市。「晴れの国」と呼ばれる岡山らしい、気持ちのいい快晴の日でした。

この地で作られる伝統的工芸品 備前焼の歴史は大変古く、平安時代にまで遡ります。

うわぐすり(釉薬)を掛けずに素地のまま、1200℃もの火で2週間前後じっくりと焼き締める備前焼。その土肌の素朴さや、炎が生み出す唯一無二の模様が特徴で、長く愛されてきました。

 

室町時代になると、その素朴な味わいから特に茶人の間で人気が高まり、茶道具が多く作られるようになったそうです。

 

千年以上もの間、窯の火を絶やすことなく伝統を守り続けてきた備前焼。今はどのような作品が作られ、使われているのでしょうか。

まずは、備前焼の販売・展示をおこなう備前焼伝統産業会館へ足を運びました!

 

駅直結の館内へ入り、2階へあがると、備前焼の作品がずらり。その作品数はさることながら、一つひとつの作品から発せられる存在感におもわず圧倒されます。

この空間、焼きものや器好きの方はもちろんですが、そうでなくても一瞬で心が高揚すること間違いなし。

土肌の素朴なイメージが強かった備前焼。実際に手に取ってみると、意外なまでのなめらかさや、土のあたたかみが伝わってきます。

同じデザインでも、よく見ると一つひとつ異なる表情。真剣に眺めていたら、時間もあっという間に過ぎ去ります。

▲備前焼陶友会専務理事 宮本さんにご案内いただきました。ありがとうございました!

初めて触れた備前焼の手触りとあたたかさへの感動にぼうっとしながら、続いて、作り手のもとへと向かいます。

 

~備前焼 器 takagiさん~

~備前焼 器 takagiさん~

今回お話をうかがったのは、他県から備前へと移住し、備前焼の製作を続ける備前焼 器 takagiさん。

 

作り手の高木さんが、"器"の道を志したきっかけは意外なものでした。

大学卒業を控え、就職活動をしていた高木さんは最初、和菓子の製造会社を志します。企業の会社説明会に足を運ぶなかで、お皿に盛られたお菓子を目にし、ふと「盛る器が違ったら、きっとこのお菓子の印象も変わるんだろうな」と、食べ物に欠かせない器という存在への興味が湧いたそう。

 

導かれるように、京都の伝統工芸の専門学校への進学を決め、器づくりを基礎から学び始めます。

入学に際し、図書館で色々な資料を見て勉強しているときに備前焼を知りました。
釉薬を使わない、絵付けなど装飾的なことをしない備前焼には、他の器とは違った景色の作り方・表現ができるのではないかと興味が湧き、心惹かれました。

備前焼は、同じ土を使っても焼き方・空気の加減によって色や仕上がりが全く異なります。
焼いている最中、器に被せたわらや、灰によって模様ができるのですが、多少はコントロールができても自然に任せた模様なので、全く同じものはできません。
そこがひとつの魅力、面白さなのかなと思います。

作り手 高木さん
▲急須に持ち手を取り付けている様子。ぴたっと作品の輪郭が決まる、緊張感のある瞬間でした。

土を選び、かたちを作り焼き上げ、仕上げに至るまで、様々な工程を経る焼きものですが、備前焼において特に大変さを感じるのはどんなところなのでしょうか。

「窯焚き」が一番大変です。窯の温度を上げるために薪をくべるタイミングなど、感覚と経験に頼らざるを得ないところがありますので、この仕事の根源的な苦労かもしれません。
空気量によって色合いも変わるため、加える薪の量が多過ぎても少なすぎてもいけなかったり、模様を作るために炭を入れたり……。
昔ながらの登り窯で焼く場合は、1日3交代制で1週間以上窯を見る必要があります。

これまで手掛けたもので特に大変だったのは、写真立てです。
贈り物としてオーダーいただいたのですが、どれだけ慎重に成形しても土は基本的に歪むもの。歪んでしまえば写真が入らなくなってしまうので、とても苦労しました。

作り手 高木さん
▲歪みやすい土という素材と、正確な形であることが大切な写真立ては、非常に製作が難しい組み合わせ。

ご自宅の一部を改装した工房で、製作に取り組む高木さん。隣り合ったギャラリーにはかわいい作品たちが並んでいます。

ワインカップやマグカップなど、どの作品からも、やわらかくどこか親しみやすい雰囲気を感じます。こうしたデザインは、どのように生みだされているのでしょうか?

ろくろをしている時に、次はこういうものを作ろう、と形が思い浮かぶことが多いですね。特にデザイン画を起こすわけではなく、頭の中に生まれたイメージをそのまま形にしています。

そのイメージを成形して「形が決まった時」は製作していて嬉しい瞬間です。

作り手 高木さん
▲特に人気の高い、マグカップ。丸くぽってりと、手中におさまります。

ワインカップの脚や、カップの持ち手。スープカップの飲み口や徳利の絶妙なフォルム……。

一つひとつのお写真とともに全部紹介したいくらい、全ての作品に見逃せない「かわいい」ポイントが。

 

こうしたデザインに込めた想いと、これからの抱負について教えていただきました。

器は、"かわいい"と感じると長くそばに置いておきたくなるものだと思います。単なる道具としてではなく、生活に寄り添う道具として、そう思えることは大事なんじゃないかと考えています。

備前焼は、どちらかというといかつく、男性向けのイメージがあるかと思います。
備前焼ならではの魅力を活かしつつ、やわらかでかわいい器を作ることによって、これからの備前焼の新たなファンを増やしていきたいです。

作り手 高木さん
▲味わい深い唯一無二の自然の模様。つい撫で続けてしまうくらい、なめらかな触り心地なんです。

これまでは素朴なイメージを持っていた備前焼。そのあたたかく優しい一面も新たに知ることができ、改めて「備前焼」と出会った気持ちになりました。

高木さんの作品は、暮らしに寄り添うパートナーとして、家の中に迎えたくなる作品ばかり。ぜひ、ギャラリーをのぞいてみてください!

備前焼 器 takagiさんのギャラリーはこちらをクリック!

<福岡・博多織>世代を超えて長く身に着ける、力強く華やかな帯

着物に欠かせない「帯」は、様々な地域で、特色のあるものが織られています。

今回ご紹介する博多織は、鎌倉時代、宋の国に渡った博多商人が伝来させた織物技術。その特徴はなんといっても、8000本にも及ぶ縦糸でぎゅっと織られた力強さと、華やかさ。縦糸が多く、締めた際に摩擦力でずれにくいことから、重い刀を腰に差す武士の帯としても重宝されました。

 

取材をさせていただいた廻り梅工房の古賀さんは、伝統柄から創作柄まで、ご自宅にある機場(はたば)でこつこつと力強く、手織りの帯や小物を手掛けています。

 

その機場は、想像をはるかに超える迫力。にこにこと穏やかに微笑んでいた古賀さんの姿からはギャップのある製作中のお姿が、印象的でした。

華やかで見惚れてしまう帯はもちろん、伝統を身近に取り入れることが出来る小物まで、その製作背景をご紹介します。

▲「365日の幸せ」と名付けられた、オリジナルのデザイン帯。古賀さんが心地よく感じるものや好きなものが散りばめられた、日常の幸せに満ちた模様です。

古賀さんが博多織に携わることになったのは、30代の頃。ご家族の影響もあって、子どもの頃から着物が好きだったという古賀さんは、地元博多の方に向けて開かれた、博多織の技術を継承し作り手を育成する学校に、第2期生として入学します。

最初から、職人として仕事をしていこう、と強く決意していたわけではなかったそうですが、次第に博多織ならではの魅力や、織りものに惹かれていきます。

 

現在では手織りの博多織を手掛けている職人さんは、古賀さんを含めてもごく僅か。手織りの博多織の、どんなところに惹かれたのでしょうか。

ものすごく多くの縦糸を使って織る博多織は、とても丈夫でハリ・光沢があり、独特の風合いを持ちます。その丈夫さは、世代を超え三世代で身に着けられると言われるほどです。

たくさんの絹糸で織られた博多織の帯は、帯を締めて動くと、織り目によってできた凹凸がこすれあうことで、ククッ、ククッという「絹鳴り」がします。呼吸をしたときのお腹の動きだけで音がするので、静かなお茶の席では目立ってしまうこともあります(笑)でも、そんな心地よい音を楽しめるのも、博多織ならではの個性です。

手織りのものは、機械織と比較すると、縦糸と横糸との凹凸がはっきりしていて厚みがあります。そのため実際に締めてみると、肌に馴染む心地よさがあります。締めたとき、凹凸で摩擦力が働くので、長時間着物を着ていても着崩れしにくいのも魅力ですね。

作り手 古賀さん

こちらの写真にうつっているものが、織り機。手織りのための織り機は、いまや作れる方も限られており、古賀さんの織り機はもともと宮大工をしていらした、福岡の大工さんに特注で作ってもらったのだそう。

 

足元の踏み木を踏んで織っていくのですが、縦糸が多いぶん、体重をかけるようにして踏み込みます。さらに手織りの場合は、横糸を通したあとに、手を使って横糸を三回手前に打ち付けます。(機械織りの場合は一回打ち)きっちりと打ち付けることによって、より丈夫な帯に仕上がります。

元来、男性の仕事と言われていたのには、かなり体力を使うこともあったのかもしれません。

▲横糸を通したあと、打ち付けているところ。
▲「あまり根詰めてしまうと、それが仕上がりにも出てしまう」と、織り機の目に入る位置に笑顔のマークを貼り、リラックスして落ち着いた気持ちで向き合えるように心がけているそう。

織りものは、空気が乾燥していると糸が言うことをきかず、また織り機の調子も良くないので、乾燥する冬場などは、湿度をあげるために、毎朝機場と織り機の水拭きから始めています。

デザインを思いついてから紋紙(デザインを織り機に読み込ませるために、紙に開いた穴によって記号化した紙)、織り始めるまでは3か月近く掛かります。

たくさんの縦糸を織り機に仕掛けたり、織ったり、絹糸に触れたり……これまで作り手として続けてこられたのは、きっと作業が自分に合っていて、本当に好きだったからだと思います。

作り手 古賀さん
▲赤い帯は、博多の伝統柄「献上柄」。古賀さんは、伝統柄はもちろんデザイン柄でも製作をされています。

やはり、実際に博多織の帯に触れてもらい、着物を着ることを楽しんでもらいたい気持ちがあります。その入り口として、これからは帯地を使って新しいことにもチャレンジしていきたいと思います。
作ったものを使っていただくことが、一番の幸せです。

作り手 古賀さん
▲帯地を活かして製作されたがま口、ポーチ。ギャラリーには、帯はもちろん帯地をつかった小物も多数出品されています。

華やかな帯を作り上げるためのデザインや糸選びから、とてつもなく体力・集中力を使う織り作業。

ひとたび織りはじめると、気持ちのよい音が機場に響きます。足の裏からは、しっかりとした振動も感じます。

笑顔で質問に答えていたと思えば、すっと集中し、力強く織っていく古賀さん。そして、その手元から生み出されていく華やかな模様。それはいつまでも眺めていたくなるような、神秘的なひと時でもありました。

 

世代を超えて作り手と使い手をつなぐ、強く美しい博多織。その魅力に、ぜひ触れてみてください。

廻り梅工房さんのギャラリーはこちらをクリック!

<秋田・樺細工>日本の暮らしで使いやすいのは、日本固有の木を使うから。

続いては、秋田県南部の角館で武士の手内職として技術が育まれた木工細工、樺細工。樹皮そのものの模様とつややかな美しさに目が惹かれますが、美しさばかりでなく、職人がきちんと材料を選びつくりあげたものは傷まずに大変長く使うことができます。取材でおたずねしたのは、角館工芸協同組合さんです。

 

樺細工という名前から、「白樺の木を使っているんだろうな」と連想される方が多いと思いますが、実はこれは間違い。樺細工に使われるのは、日本固有のヤマザクラの樹皮なのです。

なぜヤマザクラなのに「樺」の字が使われているのか。その理由は諸説あるものの、この地域の歴史にも関わるこんな説があります。

▲樺細工の歴史と技を教えてくれたのは、伝統工芸士の栗栖さん。

古くから秋田県には、アイヌ語として解釈できる地名が分布しており、それはアイヌ民族が住んでいた痕跡だと言われています。

アイヌ語ではヤマザクラの樹皮のことを「カリンパ」と呼ぶため、この地域でも、カリンパを使った細工、として知られてきました。

その後漢字が広まるにつれ、カリンパ →樺 と変換されて、「樺細工」と表記されるようになったとする説が有力です。

 

城下町の雰囲気をそのままに残す角館町。由緒ある武家屋敷が立ち並ぶ中にある、「角館樺細工伝承館」にうかがってきました。

▲思わず目を奪われた茶筒。色や風合いの異なる皮を組み合わせて使い、精緻な模様を作り出しています。

お話をうかがったのは、樺細工に50年以上携わる伝統工芸士の栗栖さん。

日本中に古くから自生するヤマザクラの木。その樹皮の模様・色合いには、自然の産物ならではのたくましい美しさがありますが、生活道具に使用されてきたのは、その美しさだけが理由ではないようです。

樺細工では、薬を入れる印籠や、茶筒などの生活道具が多く作られてきました。
多湿な日本の気候では薬や茶葉が傷みやすいですが、樹皮そのものが縮もうとする力を持つヤマザクラを使った入れ物は、密閉性が高いため、傷みにくい。日本の固有種の木だからこそ、日本の気候に合っているのだと思います。

作り手 栗栖さん
▲樺細工のスプーン。持ち手にヤマザクラの皮を巻くことで、滑り止めとしてはもちろん、ぎゅっと丈夫な作りに。

同じ樺細工の作品でも、樹皮の使い方によって色合いや見た目の雰囲気は大きく異なります。使用するヤマザクラの樹皮は、その表面の様子から、「ちりめん皮」や「ひび皮」というように、12種類程度に分けられるそう。

樺細工に使用される樹皮は、樹齢100年以上のものから比較的若いものまでありますが、古い樹皮・新しい樹皮ではまったく違った魅力があるそうです。

古い皮の方が光沢が出やすく、よく光る。「たたみもの」という、樺を何重にも重ねてブロック状にして帯留めや根付、ブローチを作る技法では、光沢を出すために古い皮を使い、ときには100年以上前の皮を使うこともあります。
新しい皮は光らないかわりに、皮が縮もうとする力が強いので、茶筒などの長持ちさせたい道具に使うことが多いです。

木は生き物ですから、それぞれ違った個性と良さがあります。それを職人が一つひとつ見極めて使うから、作品に使われる皮は、すべて理由があって選ばれているのです。

作り手 栗栖さん
▲樺細工のたたみもの。つややかな質感が、アクセサリーのモチーフや帯留めにぴったり。

樺は、雅楽で使われる笛にも巻かれています。かつて日本では、演奏の技はその家の長男にのみ口伝で伝承されてきたという歴史もあり、世代を超えても同じ楽器で同じ音を奏でられるよう、丈夫な樺が使われたのだそう。

 

日本の暮らしや文化と密接に関わりながら発展を遂げてきた、樺細工。栗栖さんが樺細工の職人になったきっかけは、尊敬する師匠の方との出会いでした。

高校卒業後、趣味のスキーに出かけていたとき、偶然小屋でスキー板を預けた方が樺細工職人だったんです。いろいろとお話を聞かせていただいて弟子入りしたのですが、とても良い師匠さんでした。

師匠の家にはとにかくたくさんの、色々な種類の本がありました。「広く浅く」という言葉がありますが、師匠は仕事の経験・技術と、様々な知識との両方を持っていて、「広いから深くなる」ということを感じさせる人でした。
自分も師匠のようになりたい、決まったものだけではなく様々なものを作りたいという想いから、箸やぐい飲みなどの新しいかたちの樺細工にも取り組んでいます。

作り手 栗栖さん
▲製作途中のぐい飲み。これから皮を貼ります。

「自分にしか作れないもの」を考えながら、50年以上樺細工と向き合う栗栖さん。

この工芸館内に並ぶ他の職人の樺細工も、どれも伝統の技と、作り手の個性や創意工夫に満ちた作品ばかり。伝統を守りながらも、その時代の暮らしや人々に寄り添うものを、常に職人が考え抜いているからこそ、こうして長く受け継がれているのだと実感しました。

▲左が樺。中央のつややかな皮は、「樺はだけ」という樹皮の表面をなめらかにする工程を経たもの。この樺はだけが、大変な体力勝負なのだとか。
▲樺の表面を削り落とした後、200℃のコテを使って表面を平らにします。

日本を表現するためには、やっぱりヤマザクラだと思います。
どこでも・誰でも作れるものではなく、若い皮や年をとった皮、それぞれの良さを見極めることで、これからも桜の皮の良さを100%引き出す作品を作り続けていきたいです。

作り手 栗栖さん

大自然の産物である樺と向き合いながら、その魅力を活かした作品を手掛ける栗栖さん。「広いから深くなる」という言葉どおり、確かな伝統の技を継承しながらも、独創性のある作品にチャレンジし続けています。

角館工芸協同組合のギャラリーページでは、日常使いしたくなる、モダンな作品が多数出品されています。とっておきの暮らしの道具を探してみましょう。

角館工芸協同組合さんのギャラリーはこちらをクリック!

<名古屋・尾張仏具>飾り金具の技術を使った新たな挑戦

次に訪れたのは、尾張仏具の産地、名古屋。江戸時代から仏具の産地として知られ、明治時代には全国へ流通するようになります。職人たちの分業による多様な工程と、華やかさが特徴です。

 

今回お話をうかがった和悠庵 野依さんは、彫金や透かしなどの伝統技術を駆使し、社寺や仏壇仏具をより荘厳に彩る「かざり金具」を手掛けています。

現在は、その技術を活かしたアクセサリーやインテリア作品まで、新しいジャンルへも挑戦しています。

▲エプロンの胸元に光るのはエビフライのピンズ。

私が本格的に仏具金具を始めたのは、大学を卒業した22歳の頃からでした。
それまでも家業を手伝うことはありましたが、職人としては遅めのスタート。そのことに引け目があって、鍛金や象嵌、七宝など、異業種の様々な技術も勉強しました。そのとき身につけた幅広い技術が、結果としていまの製作にも活きているのだと思います。

弊社の仏具金具修行は、まずは外形を切ったりやすりがけをするところから始まり、柄を彫るようになり、それから魚々子(ななこ)という、円錐状のたがねを使って表面に丸いつぶつぶの模様を彫るところに到達します。そこまで習得するのに10年くらいでしょうか。やすり一つかけるのにも慣れが必要なんです。

作り手 野依さん
▲魚々子を彫っているところ。迷いのない手つきで一つひとつ均一に彫られます。

仏具に取り付けられる金具には、そのものがとても華やかで細やかな装飾が施されています。

休むことなく手を動かして彫っていく野依さんの姿に、どれだけ手が込んだものなのかを知りました。仏具の金具製作は彫る作業だけではなく、銅をやわらかくする「焼きなまし」と呼ばれる加工から始まり、全部で10工程以上を踏んで作られていきます。

 

野依さんは、それらの伝統技法を活かし、日本の伝統柄をアレンジしたアクセサリーも製作しています。試行錯誤を繰り返しながら、なんとデザインもご自身で手掛けているのだとか。

 

また伝統技術を守りながらも、早くからCAD(図面起こしをするソフト)を積極的に取り入れることで、より早く・美しく、そして幅広い作品製作を可能にしています。

 

新しい技術と伝統技術の両方を身につけ、精緻な柄の仏具を手掛ける技術を持つ野依さんでも、初めてアクセサリーを製作される際にはとても苦労されたそうです。

仏具金具もアクセサリーも、初めて作るものは「何が正しい手順が分からない」、そのことに苦労します。
凹凸感を出すときにも、最良の手順や方法を検討してから製作します。
柄の透かしも、順番を一つ間違えるだけで柄がつぶれたり、ぐしゃぐしゃになってしまいます。自分でたえず手を動かし続けてみないと分からないのです。

作り手 野依さん
▲繊細な透かしのアクセサリー。

また、釣り好きでもある野依さんは、こんなユニークな作品も手掛けています。

▲魚たちをモチーフにしたピンズ!
▲名古屋名物・手羽先の姿も……!
▲色は違うものの、左は機械で試しに製作されたものと、右は実際の手彫りのもの。手彫りの方がふっくらと、やわらかくリアルな質感になっていることが分かります。

愛知県の事業の企画をきっかけに作り始めたこちらの魚のピンズ。彫金の技術はもちろん、化学反応を利用した色付けなど、細部に至るまで仏具のかざり金具の技術が活かされています。

(ちなみに、実際に釣りに行くと一緒に釣れがちなカサゴとメバルや、カワハギとフグをセットでお求めになる方も多いそう)

 

本業の仏具の伝統技術を守りながら、幅広い作品を手掛ける野依さん。改めて、製作への想いとこれからの目標について教えていただきました。

作る側にとってはたくさんの中の一つでも、お客様にとってはたった一つのかけがえのないもの。
大切なものだからこそできる限り手を掛けて、長く使っていけるものを届けていきたいです。喜んでもらいたいという一心で、妥協せずに作り続けています。

仏具金具製作をはじめてから今年で33年になります。これからも新しいことにどんどん挑戦して、ギャップのある作品製作に取り組んでいきたいです。そして作品をとおして、尾張仏具の技術をしっかりと未来に伝えていきたいと思います。

終始、明るい笑顔でお話くださった野依さん。

経験に裏打ちされた伝統的な技術だけではなく、取り入れられるものは積極的に取り入れ、さらに新しいものに取り組む姿勢がとても印象的でした。

アクセサリーやインテリアなどの身近に楽しめる作品など、これからどんなものが生まれてくるのか、とてもわくわくします。

和悠庵さんのギャラリーはこちらをクリック!

<東京・江戸木目込人形>人形が昔から受け継がれる理由は、日本の生活の中にある。

さて、最後にご紹介するのは1921年の創業から、手作業でのお人形作りを続ける幸一光の松崎さん。

江戸木目込人形と江戸節句人形という二つの伝統的工芸品を製作しており、来年でちょうど創業から100年を迎えます。

 

一般的に人形は、頭(かしら)と胴体部分はそれぞれ別注で作られ、取り付けられることが多いところ、幸一光さんでは両方を自社で用意しておられるのが大きな特徴。

自社で作られるからこそこだわって描かれる人形たちの表情からは、まるで人間のような感情・あたたかな心が感じられます。

▲やわらかい表情の五月人形。

節句人形とは、「桃の節句(ひなまつり)」や「端午の節句(子どもの日)」などの季節のイベントに合わせて家庭で飾られる人形のこと。

 

今回お話をうかがった松崎さんのお父様の代から始められた「木目込人形」とは、桐の粉をしょうふ糊で固めた桐塑(とうそ)で作った型に、筋を彫り、そこに布地を木目込んで(挟んで着付けて)衣装や肌を表現する人形のこと。1700年代に生まれた伝統技法です。丁寧に木目込まれた衣装や人形の個性ある表情、仕草はまるで生きているよう……。

人形作りにおいて、特に大変なところや、製作中のポイントについて教えていただきました。

やはり一番苦心するのは「面相描き」です。
熟練の職人に、こんな風にという指示を元に描いてもらうのですが、人それぞれ筆に個性やくせがありますから、それをなるべく統一させていくのが難しい部分です。
人形のお顔は、たとえば街を行き交う人やお子さんの表情からインスピレーションを受けて、実際に参考にすることもあります。

人形作りでは「人形が何を語りかけてくるのか」が分かるようになったら一人前ですね。
同じものを作っていても、一つひとつ、ちょっとした振りのつけ方によって見え方が全然違います。
その違い、人形が語りかけてくるものを見極め、それぞれが生きるように仕上げております。

作り手 松崎さん
▲からだ全体でことわざを体現するユニークなおさむらいさん。この愛らしい表情と仕草に、ほっこり……!
▲こちらは木目込の技術で作られたサイ。出来上がった時のインパクトに、松崎さんご自身も興奮したそう。

節句の文化は、時代とともに形を変えていますが、今も昔も子の健康を想う親の心は変わりません。
長い間、人形とともに親しまれてきたのは、そうした変わらない想いがあったからではないでしょうか。

時代にあった人形作りを通して若い方にも知ってもらい、楽しもう!という気持ちで節句の文化を継いでいってもらいたいと思います。

作り手 松崎さん
▲工房にいる多くの職人さんの手によって、人形が完成していきます。

松崎さんをはじめ、20代~70代の職人さんたちの想いが込められているからこそ、こんなにも一体一体の人形から生き生きとした表情や心が感じられるのだと実感しました。

あたたかく、変わらない心を伝える人形たち。ぜひギャラリーページで、彼らの表情を楽しんでみてください。

幸一光さんのギャラリーはこちらをクリック!

土地が育む、とっておきの暮らしの道具を見つけよう。

伝統的工芸品は、日本の文化や風土によって、長い時間をかけて育まれてきたもの。

実際に産地を訪ね歩き、作り手の生の声を聞くことによって、よりそのことを実感しました。

 

伝統技法を守りながらも、今の暮らしに合ったものを次々と生みだす作り手の方々。

変化がめまぐるしい現代だからこそ、そうして生まれた本物の作品は私たちの暮らしと心に寄り添い、支えてくれるのかもしれません。

 

伝統的工芸品を知り、身近に取り入れることで、季節の移り変わりや日々の暮らしをもっと楽しんでみてはいかがでしょうか?

(特集)新年を彩る 日本の伝統的工芸品~KOUGEI EXPO 2020 ONLINE~

※本記事は、一般財団法人 伝統的工芸品産業振興協会より委託を受け、株式会社クリーマが制作させていただいております。

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