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京都で出会った、若き伝統工芸の担い手。現代でその技が生きる道【京都ものづくり紀行 vol.2】

2022.12.09
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京都で出会った、若き伝統工芸の担い手。現代でその技が生きる道【京都ものづくり紀行 vol.2】

京都には、長い歴史に培われ、受け継がれてきた職人の技があります。それは、伝統美や機能美を併せ持つ、京都の伝統工芸として、いまも息づいています。

 

伝統的な手法や技法を活用した京都ならではの作品「京もの」をご紹介する「京都ものづくり紀行」。今回は、金彩扇子作家・米原康人さん、泥七宝青銅器工房・和銅寛さんの工房に伺い、お話を聞いてきました。

▲ 京都の職人の技術や魅力、伝統的な手法や技法を活用した京都ならではの作品「京もの」をご紹介する企画「京都ものづくり紀行」の特設ページはこちらから

技法を現代に残すために。いま、バトンを持つ二人

今回訪れたのは、京都で脈々と受け継がれてきた貴重な伝統技術や技法を使ってものづくりをする、金彩扇子作家の工房と、銅鐸などの製造を行う泥七宝青銅器の工房。——もしかすると、どちらも私たちの生活には馴染みがあまりない工芸品かもしれません。

 

まだ若くしてその技術を受け継ぐ、京都でも指折りの職人であるお二人にお話を伺って感じたのは、バトンを引き継いでくれた先人たちの想いや、伝統文化に携わる人々の “技術が残ってほしい” という願いなど、そういった周りの人々の希望を背負って手を動かしていらっしゃるということ。

「必要とされる限り、つくり続ける」という、若き伝統の担い手としての責任感と誇りでした。

“職人” として表現する。金彩扇子作家・米原康人さん

扇子発祥の地、京都で能や日本舞踊、歌舞伎などの伝統芸能や茶道に使われる舞扇や茶扇に箔加工を施す職人である金彩扇子作家・米原康人(よねはら・やすひと)さん。

 

Creemaでは、”扇子の箔押し” という仕事が担ってきた伝統が現代社会にどのような価値を提供できるのか考えながら、オリジナルプロダクトの制作、販売を行なっていらっしゃいます。

■ 扇子に光を入れる。「箔絵師」という仕事

普段米原さんがやっているのは、芸事で使われる伝統的な扇子への箔加工。

京都ではほかにも仏具や着物、履物などに施される箔加工の技術もありますが、どの品目にも専門に箔押しを施す職人がおり、箔押しひとつとっても、非常に細分化された世界なのだそう。それは箔加工を施すものによって、例えば木でできた仏具なら漆、紙でできた扇子なら樹脂系の接着剤や膠(にかわ)、など使う素材や材料、技術が全く異なるから。

さらに扇子一枚つくるにも、いろいろな専門の技法を持った職人が順番に携わって完成させていくのだといいます。

米原さんの工房には、まだ扇子の形になる前の、扇型に型抜きされた和紙がたくさん積まれ、箔押しされるのを待っていました。

「こういう広い状態でうちのところに回ってきて、僕らのところで箔を定着させたら次の工房に持って行きます。次の場所では箔押しされたところにスクリーンをかけて、色が入れられたり柄が入れられたりします。

 

扇で難しいのは、この作業のあと色や柄が入ったり、扇子になるように折り曲げられたりするタイミングで、箔がよれたり傷がつかないように予め考えて作業をしないといけないところです。

そうならないようにするためには、という箔の押し方を次の工程と打ち合わせして綺麗に仕上がるようにしていく。

例えば、このあと折り曲げられることを想定して、硬化する接着剤を使うとパキパキになって割れてしまうので、そうならない材料を選んで箔加工をします」

こうした作業のほか、使う材料も箔であれば純金箔や燻銀箔など、接着剤として使うものであれば樹脂系のものや膠など、種類や組み合わせによって手の動かし方が繊細に変わってくる箔加工の技術。

 

「膠でやるとなると、自然物なので使い勝手が気温や季節によって全く変わってきます。夏の暑い気温だと膠に粘り気が出て使いにくかったり、冬場だと固くなるので濃いめに引いておかないと効いてこなかったり。そこが難しい点ですし、ほかの人に伝えづらいところですね。

じゃあ誰かやってください、となったときに事前に言葉で説明できない。自分で感覚で覚えてやっていくしかない部分だと思います」

■ 日本人がもつ、美の感覚の源を表現したい

米原さんはいま、こうした京都の芸事で使われる扇子への箔加工のほか、この技術を活かしてご自身でも作品づくりを行っています。でも、ものづくりに対する姿勢や考え方はあえて変えずに取り組んでいるのだそう。

「考え方は変えずにやっています。芸事に携わっていると、お茶や能といった、芸事が伝えていることが、日本人の根幹にある ”侘び寂び” 、 ”ものの哀れ” ということなのではないかと考えるようになりました。

日本人が何を美しいと思い、大切にしてきたかを現代の感覚でも伝えたい。

 

現代でつくられているものでも、同じことを感じる部分に日本人って惹かれると思うんです。そういった感覚をしっかり伝えていくものづくりをして、あえて芸事に触れなくても、自分がつくるものから伝わる人がいるのではないか、と。

▲ 茶席扇子 6寸 月光

その時代その時代の表現の仕方、というのは意識しています。

ずっと前からあるような図案でやっていると止まってしまう。いまの人には伝わらないと思うんです。やっぱり僕自身もちょっと古いなと思うこともあります。じゃあどうしたら良いのかという試行錯誤から、良いものができていくことが多いです。

 

手づくりのものに温もりを感じる、その感覚だけでも通じる部分があると思います。ただその事実だけでも良いのですが、僕のつくるものを通じて、そういうルーツがありますよ、という表現をしているんです」

▲ 「扇面御朱印帳型ノート eN 箔表紙 #1」扇の形をした御朱印帳型ノート。広げると丸くつながって円形になります。

米原さんの作品は、いわゆる豪華絢爛な金箔貼りの作品とは一線を画すものです。

 

「箔を使うので、普通に考えたらギラギラした金のイメージがあると思うのですが、僕の作品の特徴は逆です。光の裏の儚さみたいなところを、箔を散らすことによって表す。寂しく光っていて儚さがある、とか。

▲ 黒色まで変化するのに自然界では60〜70年を要するといわれる「燻銀」と呼ばれる色味を、銀の化学変化、硫化現象を利用した燻製製法で再現した扇子。銀が持つさまざまな魅力を扇面に詰め込んだ素材感を感じられる一本。

あとは素材の選び方や使い方。僕の場合はこういうデザインにしたい、ということよりも、素材から入って考えることが多いです。例えば、いぶしをかけた燻銀(いぶしぎん)箔を使う際には、真っ黒になるまでの過程で出る色を使って、その色合いで古くなっていく変化を感じる表現をします」

 

言葉にすると説明的になりすぎてしまう、と表現を選びながらもご自身の作品について伝えてくださる米原さん。

「本当は感じてもらえるままが “そういうこと” 、となるんです。言葉にできない感覚の方が正しい感性なのではないかと思います」

■ 受け継いできたことを、いまの人にどう伝えるか。

米原さんのように、こうした扇子に箔加工を施す伝統技術を持っている職人は京都でもおそらく2〜3人ほどなのだそう。工業的な技術も発展している現代において、その技術を伝承し、いまこの時代で表現し続ける意味や魅力とはなんなのでしょう。率直な疑問を投げかけてみました。

「印刷技術をとっても、すごく企業努力をされていて、とても近いものを出せる技術も出てきています。代替する技術とか、スタンプとか、それで良いという人も、もちろんいると思うんです。

じゃあ要らんやん、と簡単に言えてしまうと思うんですけど、そうじゃない人たちもいます。

 

例えば、芸事に携わる人をはじめ、この伝統工芸を残そうとしてくれている人もいますし、こういう技術があるからこそ産地ものと言えるんだ、残っていってほしい、という人もいる。

想いがある限りは、意味のあるものなのかな、と考えています」

▲ 京扇子 箔図 image1 白 

一方で、ちゃんとアップデートしていかないと残っていかないと思う、ともおっしゃる米原さん。

 

「残したい、と言っているだけでは残っていかないんです。

きちんとアンテナを立てて、考える。”いまやってる仕事って、なんや” と。何を受け継いでしているのか、何をつくっているのか。そうふうに続けていく、それが大切だと思います。

一般的なクリエイターさんや芸術家は、自分の内側から出てくるものからつくり始めることが多いと思うのですが、僕の場合は職人なので。

職人ってどういうものを伝えてんねん、とか、そっちの方がやっぱり気になる。自分が始めたことではないので、ずっとされてきたことをいまの人にどうやって伝えるか。それが職人だからこその道なのかなと思います」

——京都での扇子づくり。それは、扇子一枚をつくるにしても、さまざまな専門の伝統技術を持った職人たちと仕事を引き継ぎながらつくっていくものです。またそれを使う人の多くも、京都でそれを生業にしていらっしゃる舞子さんや能楽師さんなど、先人から文化や想いを受け継ぐ人たち。先人たちから伝承されてきた技術も然り。

 

京都のものづくりとは、そういった人たちでつくり上げる ”モノ以外の大切な何か” なのではないか、と思わされる取材でした。

「泥七宝」という古代の彩りをいまに伝える。泥七宝青銅器工房・和銅寛さん

泥七宝青銅器工房・和銅寛さんは、1909年創業の京都の小さな青銅器工房です。

もともとは「泥七宝花瓶」の工房として創業した和銅寛さんの工房。現在は銅鐸や古代銅器の復元鋳造からブロンズモニュメントの制作などを行っているのですが、泥七宝の青銅器をいまでもつくり続けているのは、全国でもおそらくここしかない唯一の工房なのだとか。

 

このまま泥七宝の技術まで消滅してしまうのはもったいない、という想いで、この技術を次世代へ残すために花瓶以外の作品も制作されていらっしゃいます。代表を務める小泉裕司(こいずみ・ゆうじ)さんにお話を伺いました。

■ 古代を感じる彩り。泥七宝とは

▲ 古代の彩り・泥七宝 ペーパーウェイト 「コンゴウインコ」

泥七宝とは、下地も模様も鋳造でつくった生地に不透明な釉薬を施す、古代の七宝技法や金属工芸品のことを指します。現代では透明な釉薬が一般的ですが、不透明な釉薬はなんと古墳時代から使われており、古いタイプの釉薬ともいえるのだとか。現代の七宝よりも落ち着いた色味で、古代の彩りを感じられます。

 

和銅寛さんの工房では、創業当時と変わらない「真土式蝋(ろう)型鋳造法」という鋳造方法を大切に伝承し、その技法でできた生地に秘伝の釉薬を施すことで作品をつくっています。

 

「蠟型鋳造の場合は、原形そのものを蠟でつくってそれを土でくるんで、鋳造する前に鋳型自体を焼いてしまうんです。焼いて溶けた蠟を出して、そこにできた空洞に金属を流すやり方になります。なので鋳造してものができてしまったら、原型が残らないやり方です。

▲ 模様のあるものをつくるときは、こういった木型の上に、手で触れられるギリギリくらいの熱い蠟を乗せて、ローラーで伸ばして原型をつくるのだそう。

原型が蠟だと、ある程度柔らかいので、丸い原型にも蝋の原型をくっつけることができます。

花瓶をつくるのであれば、土でつくった花瓶の形をした原型に蝋でできた原型をくっつけて鋳型をつくります」

▲ 泥七宝青銅花瓶「幻獣」

そうしてできた青銅の生地に、一つひとつ手作業で泥七宝を施していきます。泥七宝の素地は色とりどりの細かいガラスの粒。それに水を混ぜたものを、筆や「ホセ」と呼ばれる七宝用の竹ベラに乗せて、生地に置いていきます。

▲ 気の遠くなるような細かい作業。生地の隅々までガラスが入るように水を混ぜるのだそうですが、その塩梅も職人の絶妙な感覚で調整していきます。
「水は蒸発するので、翌日も使うのであれば水を足さないといけません。なので1回目の柔らかさみたいなのを感覚で覚えておかないといけない。レシピ的なものがつくれれば良いのですが、そうはいかないですね」
▲ 七宝を施した作品を、砥石で研磨している様子。

その後、焼成、研磨といった作業を経て、やっと泥七宝の作品が完成します。

■ 泥七宝工芸を支える、和銅寛さんの青銅技術

明治時代、日本から輸出された七宝の花瓶は諸外国でとても評判があったのだそう。もともとはその「泥七宝花瓶」を専門につくり、それを主にヨーロッパに多く輸出をしていた和銅寛さんの工房。

——大きな転機は、ある博物館から、銅鐸(どうたく)の製造ができないかという相談がきたことがきっかけでした。

 

「銅鐸はいまからおよそ二千年前の弥生時代につくられた、多くの謎を秘めた青銅器です。それまでにも銅鐸の復元は試まれていましたが、”いまの技術をもっても銅鐸は復元できない” という研究結果が論文にも載っていたほどだそうです」

 

そんななか、相談を二つ返事で引き受けたという和銅寛さんの工房。なんと弥生時代でも入手可能な材料と道具を使った当時と同じつくり方で、銅鐸を復元させてしまいます。そののち、実験考古学の分野でその研究が認められ、高い評価を得ることに。

▲ミニ銅鐸「渦森」。 Creemaで紹介している銅鐸の作品は、この経験を元につくられたもの。

「銅鐸をいろいろと出土しているところから製造鑑定の遺物を見せてもらって、これだったらこうしたら上手くつくれるだろうと、つくり方を考察しました。

 

館がオープンしたときに、製造工程のビデオを研究者の方が偶然見はって、なんだこれは、と。こんなことをしているのは見たことがない、よくやったなということを言われて。そこからですね。うちの銅鐸も新しくしてくれ、とお話をいただくようになったのは」

▲ 青銅製 左:「雷神」右:「風神」

薄く、かつ大きいため、鋳造するときに金属が流れる「湯道(ゆみち)」がどうしても細くなってしまい、鋳造する間に固まってしまうという難しさがあった銅鐸の復元製造。和銅寛さんの工房だからこそできたのはどうしてだったのでしょうか。

 

「単純に考えると、失敗しないようにするなら、太い道をどーんとつけて横から流すようにすれば良いんです。それでも品物としては完成するんですが、当時つくられていたやり方とは違う。

銅鐸をX線などで分析すると、ここから流しました、という事実が出てきてしまうんです。昔のやり方に近づいていこうとすると、こうしといたら絶対上手くいくねんけどな、というやり方を省いていかないといけない。

 

自分たちは鋳造の仕事にずっと携わっているので、溶けた金属を流す経験値自体が違ってきます。どういうふうに中に湯を回していく(金属を流し込んでいく)のかっていうのは、経験の差が大きいのかなと。数をやる分、失敗も多いので」

■ 泥七宝技術を伝承していく

▲ 古代の彩り・泥七宝ペーパーウェイト 丸型 花唐草 薄紫

創業当時は「泥七宝花瓶」ばかりつくっていたという工房。当時明治期の七宝工芸品は主に外貨を稼ぐため、万博などで精力的に紹介されて海外へと流れていったのだそう。日本人の目に触れることも少なく、泥七宝花瓶は需要が消滅してしまいます。

 

このまま泥七宝の技術まで消滅させたくない、という想いでいまでも泥七宝を続けている全国でも唯一のつくり手です。

「もともと泥七宝の産地が京都なのですが、ここ30〜40年の間に青銅技術も泥七宝も全国でうちだけになりました。とりあえず残さな、そんな気持ちです。どうにかまだできるんだよ、ということを、どないかして知らしめたいな、と。」

 

今後はどうやって広めていくのかというのが課題、と言う代表の小泉さん。

できるだけ多くの人に広めるために、古代の青銅器の復元鋳造から、金属工芸品の制作、寺院用の新仏具、ブロンズ像の製造、昔ながらの泥七宝作品の作品制作まで、大きいもの小さいもの問わずつくり続ける、その姿勢がとても印象的でした。


 

Creemaでは泥七宝のペーパーウェイトや香立てなど、私たちの暮らしにも取り入れられる作品を多く出品いただいています。いにしえのものづくりの息吹を感じる作品を、ぜひご覧ください。

■ 「京もの」をもっと身近に。

「京都ものづくり紀行」では、魅力的な京都の工芸作品を通して、伝統と新しさを兼ね備えた作品づくりに奮闘する職人の方々の想いをご紹介しています。

 

今回ご紹介したクリエイター以外にも、クリエイティビティー溢れる作品を手掛けるクリエイターがたくさん活躍しています。ぜひ、下記ページからラインナップをお楽しみください。

皆さんのお気に入りの作品を見つけていただけたら嬉しいです。素敵な作品との出会いがありますように。

※ 本記事は京都府の伝統工芸品・地場産品に係る販路拡大の取組の一環として、 株式会社クリーマが制作しています

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